JAMになる過程で、ふと考えたこと。

前回の「好きかもしれない……」「気になる……」といった内容のブログから、早いもので、かれこれ数週間がたちました。

前回は、誰かに知らせたい(こんなにもわくわくしている!という感情を)という気持ちで書きましたが、今回は「こんなにも楽しいよ」「実は動画をみて、考えて、自分なりに咀嚼している途中で救われちゃったんだけど」の今を綴りたくてブログを書きます。

友人にもブログを見せたので、普段の話し言葉で綴りたいと思います。

 

前回のブログを書いた9月6日に、FC入会とメールの登録をしました。

オーディションである本編(というか、なんと表現すればよいのでしょうか)を見ることが出来ないからこそ、彼らの「今」を知るにはまずFCのコンテンツから、彼らひとりひとりの輪郭をとらえようと思ったのです。

JO1を勧めてくれた友人に「入会したよ」と伝えたところ「じゃあFCの映像を紹介できる!」と言われ、真っ先に紹介されたのがJAM with SHOでした。

素直に申し上げて、びっくりしてベッドの上で転げて膝を強く打ち、痛みのなか「アイドルってすごいなあ」と思ったことを覚えています。

つい数時間前まで、歌がうまい!歌がうまい!という気持ちでいっぱいだったからこそ、急に与えられた甘い雰囲気にびっくりしちゃったのかもしれません。

(かもしれません、というのはあれ以来動画を見れないでいるので…振り返った今、おそらく、みたいな感情です)

というのも、こういう甘い雰囲気を「推し」である人間がしたこと、今までの人生で一度もなくて、物凄く心臓とか、胃とか。それこそ臓器全体がびっくりしちゃったんですよね。

 

※ここからわたしの数年推している人間の話になりますが、読まなくてもOKです。

 

これはわたし個人の話で申し訳ないのですが、わたしはある人を5年間応援していて、その方は物凄くストイックな方で、パフォーマンスがとても素敵なんですね。でも、わたしがその方を追い続けた5年間で、甘く優しいファンサは一切なくて、それどころかファンサを…している姿を…見たこと…あるかな…?みたいな方で。

これまで5年、特定の誰かにファンサをしない=みんなにしない、だからそういう方なんだなぁ~と思い一切ファンサを求めず(というより考える暇もないくらい)応援していて、①生きていること②仕事が最高の2点が最高のファンサだと思って生きてきました。

実際、それは今も揺るがないし、その方を好きな理由が「パフォーマンスがうまい」の一言なので、今後もそのスタイルでいて欲しいなとひとりのファンとして思っているんです。

ただその方はファンから自分に向けられる「好き」という恋愛的感情を避けるように、拒否をするように、こちらに向けて発信する機会が今まで多くあり、1ファンとして「そういう感情」を向けちゃダメなんだなあ、と心の奥底にずーっと、それがあるんですよね。

というより、恋愛じゃなくて応援の意味で「好き」という感情すら、声に出すこともちょっとだけ、ためらうような、いいのかな?と立ち止まる機会が何度もありました。

そういう、心のやわらかい部分を刺すような無言の「やめろ」というメッセージは、わたしに深々と刺さっていて。だからパフォーマンスだけを見続けて、追い続けて、ずっとその人のことの演技力や歌などを、ただ「尊敬」という感情だけで応援してきました。

でも、それだけ削ぎ落された、尊敬だけだからかな。わたしはこの5年応援できたのかなあ、と思うんですよね。

 

でも、JAM withを見て思ったのは「ああ、こういうファンサ(の一環)をわたしは今まで見たかったのかもしれない」という、ふとした瞬間に湧き上がる感情でした。

同じ担当の人とか、ファンの人とキャーキャー盛り上がってみたかったし、誰かと「かっこいいね」という気持ちを共有したかったのかもしれない。

なにより「この人を好きなんですよね」という「好き」という感情を持っていいんだ!という、そんな気付きを、JAM withで得てしまったんですよね。突然、はっとしちゃったんですよね。

(恋愛的な意味の「好き」じゃないとしても、応援する方へ「好き」(ライク)を向けるのにもためらっていたので…)

今まで、そんなことを考える=ダメなことと思い込んできたのに、あっさりと崩されてしまって、こういうの見たかったかも……という感情になっちゃったんですよ。

びっくり。

ここまで書いておいてあれですが、JAMwithだけでこんな重く考える必要は一切ないと思いますが、続けます。

 

わたしは、アイドルも、俳優も、歌手も、そのほかの芸能に関わるすべての人に対して「ファンに見せる姿」こそ、わたしが受け取り、応援する姿だと思っているのですよね。

與那城くんって、それがすごくうまいなあというか。うまいなあって…思うんですよね。

メールから読み取れるのは、彼はすごく優しい人なんだろうな、マメで丁寧な方なんだなぁということで。本当に、本当にびっくりするんですよ。

 

わたしはいままで、応援する方の言動に喜ぶより傷を負うことが物凄く多くて(発言が鋭いナイフみたいな人だったので……)喋ればハラハラしていたし、変にドキドキしていたんですよね。

でも、與那城くんを応援したいなぁ、と思ってメールを受け取るたびに「やさしい人なんだろうな」「マメな人だな」という、プラスの感情でいっぱいになるんですよ。

傷を負うなんてことがなく、ただ一言一言に、そっかそっか、と頷きながら喜ぶ。これ、わたしが求めていた応援の在り方かもと、たまに気付いて・考えて運転中にうるっとくることもあります。

彼のメールは、凄く優しい人柄がにじみ出ているので、本当に日々疲れている人間に沁みるというか、優しくいたわる姿に思わずどきっとする、そんなものがあって本当にすごいなあといつもいつも、元気をもらっています。

 

わたしは、今年職種はそのままで職場が大きく変わって、物凄く日々消耗していて。

そんな日々に、彼のメールはすごくやさしくて、ちょっとだけ甘くて(そして誤字にくすっとくる)凄くいいなあって思うんですよね。

なにより、推したい人間の言葉を、そのまま素直に受け取って、大事に大事に胸にしまえる。これがどれだけ、どれだけ嬉しいことか。

「ああもうだめだ」と思うときに、あの笑うとかわいいなぁと思うお顔を浮かべながらメールを見ると、ちょっとだけ、もうちょっと頑張ろうかなあと思えるんですよね。

 

わたしは、JO1の彼らの今までを知らないことをずっと悔しいな、さみしいなあと思っていて。彼らの今までは、きちんと公式で見たいし、なんならDVD・BDboxで出たらすぐ買うから見せてほしいなあと思っていて。

でも、それって「今」出来ることじゃなくて。今出来ることは、今配信されているものを全て(可能な限り)見ること、そしてひとりひとりの輪郭をつかんでいくことかなあと思っていて。

そんな風に全員を好きになりたいなあと思っているなか、こうやって謎にJAM withを咀嚼している途中で救われてしまって、びっくりしちゃっていて。

 

多分、今までの「応援をする人生」のなかで、「好き」と声に出す機会って全くなくて、本人に向かって言える機会があったとしても、受け取ってもらえない気がして言えなくて。

でも、最近よくレポとか拝見していて、ファンの人が「好き!」と声にだしたら、その好意をひとしくすべての人から受け取り、笑顔で受け答えする「アイドル」の姿に、あ~~~「好きって言っていいの!?伝えていいの!?」て物凄く、物凄く感情を揺さぶられているんです。いいなあ、いい世界だなあって。

 

もしこの先、直接「好き」を伝えられる機会が訪れたらいいなあと。本当に思います。

今まで、この感情は捨てなくちゃいけないなあと、道端に置いてきたものたちは大事に持っていていいんだなあって思えて、本当にうれしいなって思っています。

今後はそういう感情を捨てずに、大事に大事に持って行って、ライブをやったときにその感情たちと一緒に彼らのきらめきを浴びたいなあって思うんです。

 

なんだかうまくまとまりませんでしたが、今、とっても楽しいです。

與那城くんのメールのここがすごい!とか、そういうのはまた別の機会に書けたらいいなって思います。〆。