よなしろしょうくんへ

あの日。11月24日と25日。その日はJO1にとっても、わたしにとっても、はじめてのドームでした。

振り返りの日記であり、レポではありません。

少し長めなので、お時間ある時に読んでいただけますと幸いです。

 

先日の宮城公演のおわりに、新幹線の中。また会いたくて、彼らの歌声が、パフォーマンスが、すべてが恋しくて急いで京セラに申し込みを決意しました。

 

久々に乗るひとりの飛行機に向け、朝の3時に起きて4時過ぎに家をでました。

空港までの道のりは真っ暗で、空は明けず星がきらきらと輝いていました。きれいだな、と思い見上げるのと同時に、冷たい冬の風が体を包みました。ぎゅっと縮こまりながら、これから行く大阪はあたたかいかなと思ったりしました。

 

空港では、ジェオチャムを付けた人が何人も、何人もいました。手荷物検査の時に目の前にいた方も、数人後ろの方も、チャム!と思いわたしもこっそり鞄からヤヌを出していました。

こんな場所にも、たくさんのJAMがいて。JAMどこだろうと日々思っているわたしとしては、ここにいた!と非常に驚きました。いつか、ここにいる誰かと、お話しするみらいがくればいいなと思いつつ、飛行機が無事に飛ぶことを願っていました。

 

飛行機の余談なのですが、わたしは高い場所がとても苦手です。隣の席の方はおらず、後ろでは「久々に飛行機に乗ったけれど、墜落しないことを願います!わはは!」みたいな会話が聞こえてきて、胃のあたりがきゅっとしました。

空へ飛び立つまで、膝に置いたストールのなかに、ヤヌを置きました。飛び立つ前に飲んだ朝の薬で脳がふわふわするなかで、ヤヌのふわふわの顔をきゅっと握っていました。緊張する体とは裏腹に薬で脳みそはふわふわしていて、冷え切った指先がヤヌのふわふわの顔回りの毛のおかげもあってじんわりと温度を取り戻していきました。

無事に飛んで安定したころ、ようやく手を離すと、ヤヌはこころなしかに手汗でしっとりしていて、あとで天日干ししようとこっそり思いました。しっとりとしたヤヌをテーブルに置き、窓の外を見ました。遠くに見える山の高さに写真を撮ると、「富士山です」とアナウンスがあり、苦手ながらも飛行機にさえ乗れば、わたしはどこまでも遠くへ行けるのかもと思いました。余談おわり。

 

大阪にひとりで行くのは、たぶん数えて今回で3度目でした。

今までは観劇マチソワ・夜行バス直帰コースだったため、大阪の駅をゆっくり見たことははじめてでした。なにより、前の人生である観劇趣味を失ってから、はじめての、数年ぶりの大阪でした。

聞こえる言葉のイントネーション、たくさんの人。街の賑わいも、住んでいる山には当たり前ですがないものばかりで新鮮でした。

京セラに向かう電車はJAMばかりで、トレカやぬいぐるみを見るたびにどきどきしていました。同時に、その集団の一部であれることが、いつもひとりで応援している自分にとって少しうれしいものでもありました。

 

駅はひとで溢れていました。聞こえてくる単語・名前はどれも知っているものばかり。それがはじめての土地なのにこころを強くさせ、この流れについていけばきっと辿り着くという安心感すらありました。

 

はじめて行ったドームには、ひと、ひと、ひと。ひとの流れが大きな川のようになっており、くらくらしていました。FC・メールの抽選は~とあたりを見回しますと、親切な方が「QRはあちらですよ」と教えてくださりました。お礼を言いつつ抽選し、人が少ない場所までよたよたと出ますと、見上げたドームの高さに目が点になりました。

こんなすばらしく大きな場所に、彼らが立つ。JO1が、立つ。

そう思った瞬間、体にぶわっと熱が灯り、その勢いのまま約2時間の物販待機列に並んでいました。残念ながらトレカが目の前で売り切れるも、よなしろくんのうちわを無事に買えました。お名前をさん付けで呼ばれながら「あっていますか?」と確認されると、買えた安心感とほっとした気持ちで「はい」という声が少し震えました。そそくさと列を離れじっくりうちわを見ますと「かっこいい」と小さく声が漏れ出ました。くっきりとした目というのは、本来ですと意志の強さとかどこかとげとげしささえ生みだしそうな言葉なのに、彼の目はあまりにやさしい雰囲気を作っていて、自然と頬が緩みました。

11人、全員がかっこいい。全員がすてき。全員大好きななか、わたしはやっぱり彼のことが特別に、一等にすきだなとぼんやり思いました。

 

会場入りまで時間をつぶしつつ、少しずつ暗くなりだしたあたりで入場しますと、会場の広さにただただ驚きました。人生はじめてのドームです。あまりに圧巻です。まだ始まってすらないのに、どきどきが止まりません。

スタンドの7列目は、大きな段差になっていて、興奮のあまり転げ落ちたら恥ずかしいくらいの怪我をしそうだな~と思っていますと、お隣の方が声をかけてくださりお話をしました。

お互いに雑談から入り、どなたがお好きなのですか?とか、コール全力で頑張りましょうね、と意気投合していました。明るく笑顔がすてきなJAMさんで、ふたりでペンライトの確認をしたり、トロッコが走ったらどうしましょう。近くに来てくれたら嬉しいですね、とほんわかした空気のなか、あたたかくおしゃべりをしてくださり本当に感謝いっぱいでした。すてきな方とお隣になれたことは、とても幸運なことで、それはライブ中何度もお互いに全力コールをするタイプなのもあり大変助かりました。どこかでこの日記を読む確率は限りなくゼロに等しいのですが、この場を借りてお礼申し上げます。

 

 

開幕。

暗くなっていく会場に、灯るペンライト。さっきまでそれぞれが話していたはずなのに、一気に「わあっ」という歓声が波のように広がりました。映像と共にどんどん早くなる音楽。今か今かと待つ瞬間、心臓はすでに飛び跳ね、ただただ楽しみで仕方がなく、その興奮は自分の口から歓声となり、会場に溶けていきました。

 

照明がつく。歓声がより一層強くなる。大きな大きな声の渦の中。

彼らが、11人が、ステージに立っていました。

 

そこからはあっという間で、コールをしながらあまりのかっこよさにカメラが誰かをアップで映すたびにお腹の底から声が出ました。歓喜の声が会場に響き渡り、それぞれの名前がそこらじゅうで呼ばれていました。わたしもカメラで抜かれたよなしろくんを見た瞬間、名前を叫んでいました。今まで名字で呼んでいたのに、その時だけはしょうくんとすらっと出たのです。今はふしぎですが、ライブ中、何度も彼の名前を叫び、その名前の響きが、よなしろしょうくんという響きが、好きだと何度も思いました。

 

正直、記憶はあいまいです。あまりに強い衝撃を受けすぎて、心拍数があがりすぎて、この曲が~!という興奮と感動のあまり心臓がばくばくと鳴っていました。

どんな曲でも、目では彼を追っていました。カメラが映す大きなモニターも見ていたけれど、どれだけ遠くても、あの大きな体がしなやかにうつくしく踊る芸術的なさまを見たいと思う瞬間があったからです。本当に、歌だけでなく、ダンスもかっこいいなと思いました。

 

途中、バラードでしっとりとした空気になったとき。なぜか急に涙が溢れてきました。

あまりにしあわせな時間を過ごしすぎて、なにかの言葉で(それすら思い出せないくらいべそべそ泣いたのですが)急にぷつっとこころの糸が切れて、どばどば涙が溢れたのです。

こんなにしあわせにしてくれる人が、人たちが、いままでの人生にいただろうかとか。

こんなにもしあわせをもらっていいのだろうか、とか。

なんで毎回ライブのたびに、しあわせという気持ちが更新され続けていくのか。

こんなにもしあわせでいっぱいで、わたしの小さなこころの器じゃそのしあわせが溢れてこぼれて、受け止めきれずに涙があふれました。

こんなにも、こんなにも。

だいすきだ、だいすきだと強く思える存在と、出会えたのははじめてかもしれないと。

そう思うと、この瞬間がずっとずっと続いてほしくて。でも永遠なんてないから、いつか終わりがくるのかなとか急にぐるぐる頭が回りだして、ずっとずっと、彼らが望む限り。彼らが望んでくれる限り、11人でいてほしい、JO1でいてほしいと強く願って泣きました。

なんでこんな急に悲しくなったのかわからないけれど(もともとの悲観的な性格もあるとは思うのですが)永遠はないと永遠否定型なのに、ああずっと続けばいいなあと。彼らを見ていると、ないはずの永遠を願わずにはいられないのです。いつも、いつも。毎回同じ気持ちで泣いてしまうのです。

 

ユニットでも泣き、盛り上がる曲でも泣き、楽しさのあまりに笑いながら「ああ、しあわせだな」とずっと思っていました。

 

ユニットの感想を書きます。

仙台と大阪では、曲が違っていました。

仙台のときはあまりに興奮しすぎて涙すら出ずまばたきするのすら惜しく、ただただペンライトを握りしめていました。

大阪でも同じで、3人の歌声の澄んだ輝きに、まるで冬の夜空にかがやく星のようなきらめきを感じていました。どこまでも高く澄んだ空に、きらきらと輝く一番星のような3人の歌声は天高く響き、こころを揺さぶりました。声がきらきらしている、なんてファンタジーな感想を抱くのもはじめてで、ああきれいだな、と心臓がとくんとくんと静かに波打っていました。

 

わたしは、よなしろくんの歌声が大好きです。こころの底から、はじめて好きになったときも、今も。ずっと。

笑っている顔も、話すスピードの心地よさも、どれもすてきだと思っているけれど。やっぱり、わたしはあなたの歌声が一番すきですとずっと思っています。

あたたかな歌声のなかには甘さもあり、しっとりとしたやさしい空気を感じます。ただ甘いのではなく、誰かのこころを癒すような、やさしく包み込むような、安心できる歌声だと思っているのです。

わたしは、やさしさは強さだと思っています。強いからこそやさしくあれるし、その逆でもあると思っています。その強さを、やさしさを。彼の歌からは、感じ取れる気がするのです。

彼の歌声は、彼を見ていて、「JO1であるよなしろしょう」という存在を見ていて受け取る「お人柄」そのものだと思います。まっすぐに伸びる歌声は、ささくれだったこころをやさしく包むようでした。安心感とか、そういう三文字も似合っちゃう。

大げさかもしれないけれど、生きていてよかったって。彼の歌声を聞いていると思うのです。生きているから聞くことができる。生きているから、こうして全身で受け止めてこころで聞くことができる。生きている意味をふとした瞬間に考える人生のなか。何度も死を選びそうになってもギリギリで踏みとどまってきたなか。悩んでばかりで、暗闇がずっと続く人生のなか。

こうしてこころを揺さぶり、魂を震わせる歌声と出会えたこと。それが今まで生きてきてよかった、の答えかもしれません。急に大げさでごめんね。

 

そしてその時、朝3時に見た、まっくらな空をふと思い出しました。山だから明かりが星しかない、冬の夜空。星と月だけがきらきらしている世界。空気は冷たく澄んでいて、ひんやりとした感覚のなかで「これから会える」と感じたときめき。その答えがここにある、と急に思い、なんだかすてきな日だなあと思いました。

涙は出ず、ただ、ただただ全てにおいて「ああよかった」と思えたのです。

 

こんなに長時間の公演なのに、一糸乱れぬ完璧なパフォーマンス。

きっちりと揃えられた、彼らの指先にまで宿る魂。それらすべてが、あまりに芸術的で、うつくしかったです。

なにより印象的だったのは、11人全員の笑顔です。

たくさんの歓声のなか、うれしそうに、こころからうれしそうに、目じりを下げるお顔を見て。ああ、いい日だなあって。彼らの笑みを見るために、ここに来たんだって。そう思いました。

 

ロッコと気球には驚かされました。

飛んでる!飛んでる!?と思ったし、高いところが苦手な彼はどこだろうと、もしやステージかときょろきょろしていると、最後の気球で手すりをしっかりと握る姿に、ああ本当に「アイドル」だと思いました。

絶対こわいよ。こわいのに、笑顔で、客席を見て、手を振って。どこまでもプロだと思いました。ぎゅっと手すりを握る手には、どれだけ力が込められていたのでしょう。でも、その怖さよりも、JAMのためと思うこころに、姿に。なんだか、楽しい場面なのに少しだけうるっとしちゃいました。

気球は撮影タイムだったのですが、初日のわたしは携帯を取り出せずにいました。

あまりにしあわせな光景を、目に焼き付けたかったのです。

ああこんなに、しあわせって大きなものなんだ。胸を満たすものなんだ。そう思って泣けてきたし、11人が目の前にどんどん通るたびに両手で手を振りました。

2日目はこころに余裕ができて撮影できたのですが、まだデータを見ていません。あまりに目で見た景色がとても大切で、データで上塗りするのがもったいない気がしてしまったのです。いつか見るとき、それはきっと「思い出になった」と笑える日かもしれません。今はまだ余韻のなか。思い出にするのは、まだちょっとわたしには早いかもしれません。

 

 

最後の挨拶では、ひとりひとりの挨拶が胸に刺さりました。

両日ともに、ひとりひとりの胸の内が、あまりにまっすぐに心を突き刺したのです。

全員の挨拶がすきだったけれど、勝手に共感したのはしょせの感覚の話でした。

音が遠い、色がない世界。しょせ、わたしもそういう経験あるよ。でもあんな苦しみを、わたし以上の絶望を、あなたは経験したのかと思うと、胸が張り裂けそうでした。

夢を追っていた彼のこころの底はあまりに生々しい表現で、同時にその生々しさはあまりに身に覚えがあるもので。でもそれを言葉にするって、むずかしくて、こわくて、胸のかさぶたをはがすようなもので。その傷口を、ぽつりとしゃべってくれたこと。JAMにしゃべってくれたこと。それがうれしかったです。つらいことを、しゃべるのは勇気がいることです。それを、しゃべってくれて、こころを見せてくれて、ありがとう。

 

涙を見せるメンバー、2日目には晴れやかになるメンバー、笑顔のメンバー。それぞれのなか、よなしろくんの言葉は、いつだってゆっくりと胸に沁みます。

当たり前じゃない。その言葉の重みは、ずっしりときました。これまでの道のりの「いろいろなこと」。言葉にすると一言だけど、よなしろくんと、JO1と、JAMの間には確かに頷いている瞬間があって、この瞬間みんなでその「いろいろなこと」をそれぞれのこころに描いていて。

「みんなの不安とかを僕たちが取り除けたら嬉しいです」

その言葉に、なんだか、本当に。救われたというか。一瞬でぶわっと、今までの人生でJO1に支えられてきた数年間を思って。よなしろくんの存在に支えられてきた数年間を思って。たくさんの不安が、苦悩があるけれど。それでも、あなたのその言葉に、声に、救われていてって思ったら、泣きそうでした。でも、泣いたらもったいないなって。よなしろくんの言葉を聞かなきゃって思って。まばたきしたら泣きそうで。ただずっと、震える手をぎゅっと握りながらお話を聞いていました。

 

そしてJAMがリーダーだよ、と笑みを浮かべました。

思わずこころのなかで、リーダーはよなしろくんだから。よなしろくんだからこそ、ここまでみんなが安心できるんじゃないかなって。何も知らないただのファンだけど、わたしはそう思って、彼の本意は別かもしれないけれど、わたしはわたしで「JO1のリーダーは、よなしろくんだよ」「あなたがいたから、わたしはJO1と出会えたよ」と強く思いました。

いつもお兄さんとして、リーダーとして、みんなをあたたかく見守るまなざし。大きな体に大きな心で、やさしくあたたかい姿。その姿に、わたしは自分の人生は大きく励まされています。同い年だけど(だからこそ)わたしはよなしろくんの穏やかさややさしさに、すごく憧れています。尊敬しています。

 

余談ですが、わたしはお仕事でお子さんのおはなしを、特にお悩みや悲しみとか苦しみを聞く機会がとても多いです。

そんなとき、うんうん頷きながら、時々答えがでないくらい悲しいおはなしを聞くこともあります。そんなとき、迷ったとき、わたしに喋ってくれてありがとうと言いながら、安心できる人になりたくて、あなたみたいになりたいと思って大きくどんと構えている時がものすごくいっぱいあります。

日々の生活のなかでも、色味の少ない暮らしのなかでも、あなたみたいにやさしい人になりたくて、なるべく笑顔で接しようといつも心がけています。

人を好きになるって理由は様々だけど、わたしはあなたを尊敬しています。あなたみたいな、やさしい人になりたいって、ずっとずっと思っています。それは応援している数年間、迷うことないわたしの目標です。

仕事のわたしとは別に、本来のわたしは悲観的だし、すぐ寝込むし、悲しくてよくひとりでめそめそ泣きます。障害と共存しようと必死に生きているけれど、時々立ち止まってしまいます。悲しくて悲しくて、訳もなく悲しい日もたくさんあります。そういう脳の仕組みと理解しているけれど、わたしは時々たまらなく悲しくなるのです。

でも。そんなわたしでも。よなしろくんみたいな人になりたくて。あなたのようなすてきな人になりたくて。家を出たら切り替えてにこにこできるのです。大きく構えて、「やさしい」人であろうと努力することが出来るのです。

わたしの悲しみの海に、よなしろくんの歌はやさしいひかりを灯してくれます。「今のわたし」を構成するものに、あなたのかっこいい姿は、やさしい姿は、あまりにおおきく占めているのです。

 

やさしいと人から、お子さんから言われるたびに。わたしのこころにはよなしろくんがいます。

やわらかであたたかな、大きなひかりです。

わたしのこころという荒れた海のなか、迷い続けるわたしという小さな小舟を、まっすぐにそこにゆけばいいと照らす灯台のひかりのような存在なのです。

本当にこんな表現、恥ずかしいくらいなのに、これでも足りないのです。わたしのあなたへの尊敬は、わたしの言葉ではつむげない。それくらい、大きな大きな愛情(応援)なのです。

 

星の王子さま(河野万里子・訳/新潮社)に、わたしのすきなシーンがあります。

それは、友達を探す王子さまがキツネと友達になるかならないかのシーンで、キツネが『なつく』ことを『絆を結ぶこと』と説明したうえで、日々の生活がいかに単調でちょっとうんざりしているかを話します。

そこで、キツネは王子さまに『なつく』=『絆をむすぶ』と、世界はこう変わると話し出すのです。

 

「でも、もしきみがぼくをなつかせてくれたら、ぼくの暮らしは急に陽が差したようになる。ぼくは、ほかのだれともちがうきみの足音が、わかるようになる。ほかの足音なら、ぼくは地面にもぐってかくれる。でもきみの足音は、音楽みたいに、ぼくを巣の外へいざなうんだ。」

 

「それに、ほら! むこうには麦畑が見えるだろう? ぼくはパンを食べない。だから小麦にはなんの用もない。麦畑を見ても、心に浮かぶものもない。それはさびしいことだ! でもきみは、金色の髪をしている。そのきみがぼくをなつかせてくれたら、すてきだろうなあ! 金色に輝く小麦を見ただけで、ぼくはきみを思い出すようになる。麦畑をわたっていく風の音まで、好きになる……」 (p102)

 

わたしは、このキツネにこころから共感しているのです。

よなしろくんと出会って、JO1と出会って、急に陽が差した暮らし。

今まで見なかった音楽番組をチェックし、彼らが「すき」といったものをすてきだなと思うたびに、こころに色が増えていくのです。彼らがきっかけで、知ったもの、覚えたもの、歌や言葉、行きたい場所、たくさんあります。

JO1がいるから、いてくれるから、わたしは窮屈な毎日から、キツネのいう「巣の外」へ飛び出していけるのです。

 

そして、わたしは田に囲まれた山間部出身なので、麦畑より、金色に輝くものは稲穂を思い出します。風に揺れる美しい稲穂の金色の輝きを見るたびに、きっとこころのなかに鮮やかな金髪の彼を思いだし、その稲穂を撫でる柔らかでおだやかな風の音まで、こころから好きになれる。なんだか、それってうつくしいことだなあって、こころの底から思うのです。

 

わたしたちJAMは、彼らと絆を結んでいて、わたし自身、JAMになったことで単調でちょっとうんざしている暮らしに急に陽がして。その陽のあたたかさに、荒れた海のような暗いこころが穏やかに凪いでゆく。そのことを、わたしは深い愛情だと、自分自身で思っています。

 

尊敬のなかに、わたしの心には深い愛情が生まれていて、ただ好きとかそんな言葉じゃなく、ひたすらに敬愛しているのだと思うのです。

崇拝ではなく、信仰でもなく、その人そのものをひととして、尊敬しているのです。

 

もっと話したいのですが、これ以上言葉をかけないので、余談おわり。

 

 

 

「JAM、どこだ」と叫んでくれた日から、数年。今じゃ「どこだ」に大声で返せる時代になりました。

たくさん、たくさんの苦しみがあったと思います。想像することしか出来ないけれど、わたしたちに見せられなかった涙も葛藤も、立ち止まった瞬間も、きっと、たくさんあったのかもしれません。

それでも、その痛みは、苦しみは、こころを覆った暗闇は。

今では立派な彼らの武器です。

 

わたしも、あの場にいたたくさんのJAMも、そしてなにより彼ら自身も。

行き場のない苦しみや葛藤をもって生きているのだと思います。いいことばかりじゃない。夢なんてと笑われることもある。「ふつう」になれなくて泣く日もある。一般社会から脱線して生きるつらさに苛まれ、夜な夜な泣きべそをかく日だってある。きっと、たくさんの痛みがあると思うのです。

それでも、それでも。

痛みがわかる分、彼らは誰にも負けない。どんな人にもどんなグループにも、どんな世間の声にも負けない。負けないって、わたしは、わたしたちJAMは、知っているのです。

暗闇に寄り添い、それでもいいよ、でも今はすべてを忘れてしあわせを感じようと、そっと背中を押してくれるやさしい人が、すてきな人が、11人もいるのです。それって、最強で、無敵なんじゃないかなって。わたしは思うのです。

 

永遠はないし、いつか……と悲観する日もあります。

うまく事務所の方針と、こころが合わない日だってあります。

彼らの努力と、ファンのこころと、事務所の方針では時々違う方向を見ている気がしてならない瞬間が多々訪れます。

言葉にできないだけで、彼らを思い悔しがって、じゃあどうすれば彼らをもっと上へはばたかせられるか考えてめそめそ泣く日だってあります。

JO1の、彼らの強さやうつくしさを知っているからこそ、本当は強く悔しがっているわたしがいるのです。

 

それでも。

彼ら11人をだいすきな心も、自分なりの精一杯の愛も。すべては本物で。

その愛情は自分のこころのなかで、メラメラと燃え盛る炎のようで、爆発する火山のようでもあって。でも、ショーケースに飾られたうつくしい宝石のようでもあって、おだやかな海のようでもあって。

形を日々変えながら、愛は胸の中にあって。

きっと変わらないものはないけれど、形を変えながら愛は確かにそこにあって。

だからこれからも。この先も。ずっとずっと。

彼らがJO1でいる限り。いてくれる限り。

そして、よなしろくんが歌声を届けてくれる限り。

変わり続けるやわらかくて激しい愛を持って、彼らを自分なりの精一杯愛して、応援したいのです。

 

わがままだって、たくさん聞きたいのです。もっともっと、わがままになってほしいのです。かなえたい夢をどんどん口にしてほしいし、JAMとしてその目標までその背中を押す追い風となりたいのです。

夢の続きを、見続けたい。

まだ、ひとつの夢をかなえたばかりだけど、夢はまだまだこれから広がっていくから、それを見届けたいのです。

これからも彼らの夢が、それこそ無限大の夢が、広がって、広がって、かなえていく未来を。わたしはJAMとして、愛し、見届けたいです。

そう思いました。

 

 

さいごに。

たくさん書いたけれど、一番に。

みんなの、11人の、笑顔と健康と、なによりしあわせを願っています。

たくさんしあわせをくれる彼らだから、世界中の誰よりもしあわせな11人になってほしいのです。

 

そして、よなしろくん。

よなしろくんの歌声が、もっと多くの人に届きますように。

もっともっと、遠くへ届きますように。

海を越え、陸を越え、どこまでも遠くへ届き、あなたのやわらかなやさしさが誰かのこころに届きますように。

あなたの歌声は、わたしの世界のひかりです。

ずっとずっと、だいすきです。

 

おしまい。