よなしろしょうくんへ

あの日。11月24日と25日。その日はJO1にとっても、わたしにとっても、はじめてのドームでした。

振り返りの日記であり、レポではありません。

少し長めなので、お時間ある時に読んでいただけますと幸いです。

 

先日の宮城公演のおわりに、新幹線の中。また会いたくて、彼らの歌声が、パフォーマンスが、すべてが恋しくて急いで京セラに申し込みを決意しました。

 

久々に乗るひとりの飛行機に向け、朝の3時に起きて4時過ぎに家をでました。

空港までの道のりは真っ暗で、空は明けず星がきらきらと輝いていました。きれいだな、と思い見上げるのと同時に、冷たい冬の風が体を包みました。ぎゅっと縮こまりながら、これから行く大阪はあたたかいかなと思ったりしました。

 

空港では、ジェオチャムを付けた人が何人も、何人もいました。手荷物検査の時に目の前にいた方も、数人後ろの方も、チャム!と思いわたしもこっそり鞄からヤヌを出していました。

こんな場所にも、たくさんのJAMがいて。JAMどこだろうと日々思っているわたしとしては、ここにいた!と非常に驚きました。いつか、ここにいる誰かと、お話しするみらいがくればいいなと思いつつ、飛行機が無事に飛ぶことを願っていました。

 

飛行機の余談なのですが、わたしは高い場所がとても苦手です。隣の席の方はおらず、後ろでは「久々に飛行機に乗ったけれど、墜落しないことを願います!わはは!」みたいな会話が聞こえてきて、胃のあたりがきゅっとしました。

空へ飛び立つまで、膝に置いたストールのなかに、ヤヌを置きました。飛び立つ前に飲んだ朝の薬で脳がふわふわするなかで、ヤヌのふわふわの顔をきゅっと握っていました。緊張する体とは裏腹に薬で脳みそはふわふわしていて、冷え切った指先がヤヌのふわふわの顔回りの毛のおかげもあってじんわりと温度を取り戻していきました。

無事に飛んで安定したころ、ようやく手を離すと、ヤヌはこころなしかに手汗でしっとりしていて、あとで天日干ししようとこっそり思いました。しっとりとしたヤヌをテーブルに置き、窓の外を見ました。遠くに見える山の高さに写真を撮ると、「富士山です」とアナウンスがあり、苦手ながらも飛行機にさえ乗れば、わたしはどこまでも遠くへ行けるのかもと思いました。余談おわり。

 

大阪にひとりで行くのは、たぶん数えて今回で3度目でした。

今までは観劇マチソワ・夜行バス直帰コースだったため、大阪の駅をゆっくり見たことははじめてでした。なにより、前の人生である観劇趣味を失ってから、はじめての、数年ぶりの大阪でした。

聞こえる言葉のイントネーション、たくさんの人。街の賑わいも、住んでいる山には当たり前ですがないものばかりで新鮮でした。

京セラに向かう電車はJAMばかりで、トレカやぬいぐるみを見るたびにどきどきしていました。同時に、その集団の一部であれることが、いつもひとりで応援している自分にとって少しうれしいものでもありました。

 

駅はひとで溢れていました。聞こえてくる単語・名前はどれも知っているものばかり。それがはじめての土地なのにこころを強くさせ、この流れについていけばきっと辿り着くという安心感すらありました。

 

はじめて行ったドームには、ひと、ひと、ひと。ひとの流れが大きな川のようになっており、くらくらしていました。FC・メールの抽選は~とあたりを見回しますと、親切な方が「QRはあちらですよ」と教えてくださりました。お礼を言いつつ抽選し、人が少ない場所までよたよたと出ますと、見上げたドームの高さに目が点になりました。

こんなすばらしく大きな場所に、彼らが立つ。JO1が、立つ。

そう思った瞬間、体にぶわっと熱が灯り、その勢いのまま約2時間の物販待機列に並んでいました。残念ながらトレカが目の前で売り切れるも、よなしろくんのうちわを無事に買えました。お名前をさん付けで呼ばれながら「あっていますか?」と確認されると、買えた安心感とほっとした気持ちで「はい」という声が少し震えました。そそくさと列を離れじっくりうちわを見ますと「かっこいい」と小さく声が漏れ出ました。くっきりとした目というのは、本来ですと意志の強さとかどこかとげとげしささえ生みだしそうな言葉なのに、彼の目はあまりにやさしい雰囲気を作っていて、自然と頬が緩みました。

11人、全員がかっこいい。全員がすてき。全員大好きななか、わたしはやっぱり彼のことが特別に、一等にすきだなとぼんやり思いました。

 

会場入りまで時間をつぶしつつ、少しずつ暗くなりだしたあたりで入場しますと、会場の広さにただただ驚きました。人生はじめてのドームです。あまりに圧巻です。まだ始まってすらないのに、どきどきが止まりません。

スタンドの7列目は、大きな段差になっていて、興奮のあまり転げ落ちたら恥ずかしいくらいの怪我をしそうだな~と思っていますと、お隣の方が声をかけてくださりお話をしました。

お互いに雑談から入り、どなたがお好きなのですか?とか、コール全力で頑張りましょうね、と意気投合していました。明るく笑顔がすてきなJAMさんで、ふたりでペンライトの確認をしたり、トロッコが走ったらどうしましょう。近くに来てくれたら嬉しいですね、とほんわかした空気のなか、あたたかくおしゃべりをしてくださり本当に感謝いっぱいでした。すてきな方とお隣になれたことは、とても幸運なことで、それはライブ中何度もお互いに全力コールをするタイプなのもあり大変助かりました。どこかでこの日記を読む確率は限りなくゼロに等しいのですが、この場を借りてお礼申し上げます。

 

 

開幕。

暗くなっていく会場に、灯るペンライト。さっきまでそれぞれが話していたはずなのに、一気に「わあっ」という歓声が波のように広がりました。映像と共にどんどん早くなる音楽。今か今かと待つ瞬間、心臓はすでに飛び跳ね、ただただ楽しみで仕方がなく、その興奮は自分の口から歓声となり、会場に溶けていきました。

 

照明がつく。歓声がより一層強くなる。大きな大きな声の渦の中。

彼らが、11人が、ステージに立っていました。

 

そこからはあっという間で、コールをしながらあまりのかっこよさにカメラが誰かをアップで映すたびにお腹の底から声が出ました。歓喜の声が会場に響き渡り、それぞれの名前がそこらじゅうで呼ばれていました。わたしもカメラで抜かれたよなしろくんを見た瞬間、名前を叫んでいました。今まで名字で呼んでいたのに、その時だけはしょうくんとすらっと出たのです。今はふしぎですが、ライブ中、何度も彼の名前を叫び、その名前の響きが、よなしろしょうくんという響きが、好きだと何度も思いました。

 

正直、記憶はあいまいです。あまりに強い衝撃を受けすぎて、心拍数があがりすぎて、この曲が~!という興奮と感動のあまり心臓がばくばくと鳴っていました。

どんな曲でも、目では彼を追っていました。カメラが映す大きなモニターも見ていたけれど、どれだけ遠くても、あの大きな体がしなやかにうつくしく踊る芸術的なさまを見たいと思う瞬間があったからです。本当に、歌だけでなく、ダンスもかっこいいなと思いました。

 

途中、バラードでしっとりとした空気になったとき。なぜか急に涙が溢れてきました。

あまりにしあわせな時間を過ごしすぎて、なにかの言葉で(それすら思い出せないくらいべそべそ泣いたのですが)急にぷつっとこころの糸が切れて、どばどば涙が溢れたのです。

こんなにしあわせにしてくれる人が、人たちが、いままでの人生にいただろうかとか。

こんなにもしあわせをもらっていいのだろうか、とか。

なんで毎回ライブのたびに、しあわせという気持ちが更新され続けていくのか。

こんなにもしあわせでいっぱいで、わたしの小さなこころの器じゃそのしあわせが溢れてこぼれて、受け止めきれずに涙があふれました。

こんなにも、こんなにも。

だいすきだ、だいすきだと強く思える存在と、出会えたのははじめてかもしれないと。

そう思うと、この瞬間がずっとずっと続いてほしくて。でも永遠なんてないから、いつか終わりがくるのかなとか急にぐるぐる頭が回りだして、ずっとずっと、彼らが望む限り。彼らが望んでくれる限り、11人でいてほしい、JO1でいてほしいと強く願って泣きました。

なんでこんな急に悲しくなったのかわからないけれど(もともとの悲観的な性格もあるとは思うのですが)永遠はないと永遠否定型なのに、ああずっと続けばいいなあと。彼らを見ていると、ないはずの永遠を願わずにはいられないのです。いつも、いつも。毎回同じ気持ちで泣いてしまうのです。

 

ユニットでも泣き、盛り上がる曲でも泣き、楽しさのあまりに笑いながら「ああ、しあわせだな」とずっと思っていました。

 

ユニットの感想を書きます。

仙台と大阪では、曲が違っていました。

仙台のときはあまりに興奮しすぎて涙すら出ずまばたきするのすら惜しく、ただただペンライトを握りしめていました。

大阪でも同じで、3人の歌声の澄んだ輝きに、まるで冬の夜空にかがやく星のようなきらめきを感じていました。どこまでも高く澄んだ空に、きらきらと輝く一番星のような3人の歌声は天高く響き、こころを揺さぶりました。声がきらきらしている、なんてファンタジーな感想を抱くのもはじめてで、ああきれいだな、と心臓がとくんとくんと静かに波打っていました。

 

わたしは、よなしろくんの歌声が大好きです。こころの底から、はじめて好きになったときも、今も。ずっと。

笑っている顔も、話すスピードの心地よさも、どれもすてきだと思っているけれど。やっぱり、わたしはあなたの歌声が一番すきですとずっと思っています。

あたたかな歌声のなかには甘さもあり、しっとりとしたやさしい空気を感じます。ただ甘いのではなく、誰かのこころを癒すような、やさしく包み込むような、安心できる歌声だと思っているのです。

わたしは、やさしさは強さだと思っています。強いからこそやさしくあれるし、その逆でもあると思っています。その強さを、やさしさを。彼の歌からは、感じ取れる気がするのです。

彼の歌声は、彼を見ていて、「JO1であるよなしろしょう」という存在を見ていて受け取る「お人柄」そのものだと思います。まっすぐに伸びる歌声は、ささくれだったこころをやさしく包むようでした。安心感とか、そういう三文字も似合っちゃう。

大げさかもしれないけれど、生きていてよかったって。彼の歌声を聞いていると思うのです。生きているから聞くことができる。生きているから、こうして全身で受け止めてこころで聞くことができる。生きている意味をふとした瞬間に考える人生のなか。何度も死を選びそうになってもギリギリで踏みとどまってきたなか。悩んでばかりで、暗闇がずっと続く人生のなか。

こうしてこころを揺さぶり、魂を震わせる歌声と出会えたこと。それが今まで生きてきてよかった、の答えかもしれません。急に大げさでごめんね。

 

そしてその時、朝3時に見た、まっくらな空をふと思い出しました。山だから明かりが星しかない、冬の夜空。星と月だけがきらきらしている世界。空気は冷たく澄んでいて、ひんやりとした感覚のなかで「これから会える」と感じたときめき。その答えがここにある、と急に思い、なんだかすてきな日だなあと思いました。

涙は出ず、ただ、ただただ全てにおいて「ああよかった」と思えたのです。

 

こんなに長時間の公演なのに、一糸乱れぬ完璧なパフォーマンス。

きっちりと揃えられた、彼らの指先にまで宿る魂。それらすべてが、あまりに芸術的で、うつくしかったです。

なにより印象的だったのは、11人全員の笑顔です。

たくさんの歓声のなか、うれしそうに、こころからうれしそうに、目じりを下げるお顔を見て。ああ、いい日だなあって。彼らの笑みを見るために、ここに来たんだって。そう思いました。

 

ロッコと気球には驚かされました。

飛んでる!飛んでる!?と思ったし、高いところが苦手な彼はどこだろうと、もしやステージかときょろきょろしていると、最後の気球で手すりをしっかりと握る姿に、ああ本当に「アイドル」だと思いました。

絶対こわいよ。こわいのに、笑顔で、客席を見て、手を振って。どこまでもプロだと思いました。ぎゅっと手すりを握る手には、どれだけ力が込められていたのでしょう。でも、その怖さよりも、JAMのためと思うこころに、姿に。なんだか、楽しい場面なのに少しだけうるっとしちゃいました。

気球は撮影タイムだったのですが、初日のわたしは携帯を取り出せずにいました。

あまりにしあわせな光景を、目に焼き付けたかったのです。

ああこんなに、しあわせって大きなものなんだ。胸を満たすものなんだ。そう思って泣けてきたし、11人が目の前にどんどん通るたびに両手で手を振りました。

2日目はこころに余裕ができて撮影できたのですが、まだデータを見ていません。あまりに目で見た景色がとても大切で、データで上塗りするのがもったいない気がしてしまったのです。いつか見るとき、それはきっと「思い出になった」と笑える日かもしれません。今はまだ余韻のなか。思い出にするのは、まだちょっとわたしには早いかもしれません。

 

 

最後の挨拶では、ひとりひとりの挨拶が胸に刺さりました。

両日ともに、ひとりひとりの胸の内が、あまりにまっすぐに心を突き刺したのです。

全員の挨拶がすきだったけれど、勝手に共感したのはしょせの感覚の話でした。

音が遠い、色がない世界。しょせ、わたしもそういう経験あるよ。でもあんな苦しみを、わたし以上の絶望を、あなたは経験したのかと思うと、胸が張り裂けそうでした。

夢を追っていた彼のこころの底はあまりに生々しい表現で、同時にその生々しさはあまりに身に覚えがあるもので。でもそれを言葉にするって、むずかしくて、こわくて、胸のかさぶたをはがすようなもので。その傷口を、ぽつりとしゃべってくれたこと。JAMにしゃべってくれたこと。それがうれしかったです。つらいことを、しゃべるのは勇気がいることです。それを、しゃべってくれて、こころを見せてくれて、ありがとう。

 

涙を見せるメンバー、2日目には晴れやかになるメンバー、笑顔のメンバー。それぞれのなか、よなしろくんの言葉は、いつだってゆっくりと胸に沁みます。

当たり前じゃない。その言葉の重みは、ずっしりときました。これまでの道のりの「いろいろなこと」。言葉にすると一言だけど、よなしろくんと、JO1と、JAMの間には確かに頷いている瞬間があって、この瞬間みんなでその「いろいろなこと」をそれぞれのこころに描いていて。

「みんなの不安とかを僕たちが取り除けたら嬉しいです」

その言葉に、なんだか、本当に。救われたというか。一瞬でぶわっと、今までの人生でJO1に支えられてきた数年間を思って。よなしろくんの存在に支えられてきた数年間を思って。たくさんの不安が、苦悩があるけれど。それでも、あなたのその言葉に、声に、救われていてって思ったら、泣きそうでした。でも、泣いたらもったいないなって。よなしろくんの言葉を聞かなきゃって思って。まばたきしたら泣きそうで。ただずっと、震える手をぎゅっと握りながらお話を聞いていました。

 

そしてJAMがリーダーだよ、と笑みを浮かべました。

思わずこころのなかで、リーダーはよなしろくんだから。よなしろくんだからこそ、ここまでみんなが安心できるんじゃないかなって。何も知らないただのファンだけど、わたしはそう思って、彼の本意は別かもしれないけれど、わたしはわたしで「JO1のリーダーは、よなしろくんだよ」「あなたがいたから、わたしはJO1と出会えたよ」と強く思いました。

いつもお兄さんとして、リーダーとして、みんなをあたたかく見守るまなざし。大きな体に大きな心で、やさしくあたたかい姿。その姿に、わたしは自分の人生は大きく励まされています。同い年だけど(だからこそ)わたしはよなしろくんの穏やかさややさしさに、すごく憧れています。尊敬しています。

 

余談ですが、わたしはお仕事でお子さんのおはなしを、特にお悩みや悲しみとか苦しみを聞く機会がとても多いです。

そんなとき、うんうん頷きながら、時々答えがでないくらい悲しいおはなしを聞くこともあります。そんなとき、迷ったとき、わたしに喋ってくれてありがとうと言いながら、安心できる人になりたくて、あなたみたいになりたいと思って大きくどんと構えている時がものすごくいっぱいあります。

日々の生活のなかでも、色味の少ない暮らしのなかでも、あなたみたいにやさしい人になりたくて、なるべく笑顔で接しようといつも心がけています。

人を好きになるって理由は様々だけど、わたしはあなたを尊敬しています。あなたみたいな、やさしい人になりたいって、ずっとずっと思っています。それは応援している数年間、迷うことないわたしの目標です。

仕事のわたしとは別に、本来のわたしは悲観的だし、すぐ寝込むし、悲しくてよくひとりでめそめそ泣きます。障害と共存しようと必死に生きているけれど、時々立ち止まってしまいます。悲しくて悲しくて、訳もなく悲しい日もたくさんあります。そういう脳の仕組みと理解しているけれど、わたしは時々たまらなく悲しくなるのです。

でも。そんなわたしでも。よなしろくんみたいな人になりたくて。あなたのようなすてきな人になりたくて。家を出たら切り替えてにこにこできるのです。大きく構えて、「やさしい」人であろうと努力することが出来るのです。

わたしの悲しみの海に、よなしろくんの歌はやさしいひかりを灯してくれます。「今のわたし」を構成するものに、あなたのかっこいい姿は、やさしい姿は、あまりにおおきく占めているのです。

 

やさしいと人から、お子さんから言われるたびに。わたしのこころにはよなしろくんがいます。

やわらかであたたかな、大きなひかりです。

わたしのこころという荒れた海のなか、迷い続けるわたしという小さな小舟を、まっすぐにそこにゆけばいいと照らす灯台のひかりのような存在なのです。

本当にこんな表現、恥ずかしいくらいなのに、これでも足りないのです。わたしのあなたへの尊敬は、わたしの言葉ではつむげない。それくらい、大きな大きな愛情(応援)なのです。

 

星の王子さま(河野万里子・訳/新潮社)に、わたしのすきなシーンがあります。

それは、友達を探す王子さまがキツネと友達になるかならないかのシーンで、キツネが『なつく』ことを『絆を結ぶこと』と説明したうえで、日々の生活がいかに単調でちょっとうんざりしているかを話します。

そこで、キツネは王子さまに『なつく』=『絆をむすぶ』と、世界はこう変わると話し出すのです。

 

「でも、もしきみがぼくをなつかせてくれたら、ぼくの暮らしは急に陽が差したようになる。ぼくは、ほかのだれともちがうきみの足音が、わかるようになる。ほかの足音なら、ぼくは地面にもぐってかくれる。でもきみの足音は、音楽みたいに、ぼくを巣の外へいざなうんだ。」

 

「それに、ほら! むこうには麦畑が見えるだろう? ぼくはパンを食べない。だから小麦にはなんの用もない。麦畑を見ても、心に浮かぶものもない。それはさびしいことだ! でもきみは、金色の髪をしている。そのきみがぼくをなつかせてくれたら、すてきだろうなあ! 金色に輝く小麦を見ただけで、ぼくはきみを思い出すようになる。麦畑をわたっていく風の音まで、好きになる……」 (p102)

 

わたしは、このキツネにこころから共感しているのです。

よなしろくんと出会って、JO1と出会って、急に陽が差した暮らし。

今まで見なかった音楽番組をチェックし、彼らが「すき」といったものをすてきだなと思うたびに、こころに色が増えていくのです。彼らがきっかけで、知ったもの、覚えたもの、歌や言葉、行きたい場所、たくさんあります。

JO1がいるから、いてくれるから、わたしは窮屈な毎日から、キツネのいう「巣の外」へ飛び出していけるのです。

 

そして、わたしは田に囲まれた山間部出身なので、麦畑より、金色に輝くものは稲穂を思い出します。風に揺れる美しい稲穂の金色の輝きを見るたびに、きっとこころのなかに鮮やかな金髪の彼を思いだし、その稲穂を撫でる柔らかでおだやかな風の音まで、こころから好きになれる。なんだか、それってうつくしいことだなあって、こころの底から思うのです。

 

わたしたちJAMは、彼らと絆を結んでいて、わたし自身、JAMになったことで単調でちょっとうんざしている暮らしに急に陽がして。その陽のあたたかさに、荒れた海のような暗いこころが穏やかに凪いでゆく。そのことを、わたしは深い愛情だと、自分自身で思っています。

 

尊敬のなかに、わたしの心には深い愛情が生まれていて、ただ好きとかそんな言葉じゃなく、ひたすらに敬愛しているのだと思うのです。

崇拝ではなく、信仰でもなく、その人そのものをひととして、尊敬しているのです。

 

もっと話したいのですが、これ以上言葉をかけないので、余談おわり。

 

 

 

「JAM、どこだ」と叫んでくれた日から、数年。今じゃ「どこだ」に大声で返せる時代になりました。

たくさん、たくさんの苦しみがあったと思います。想像することしか出来ないけれど、わたしたちに見せられなかった涙も葛藤も、立ち止まった瞬間も、きっと、たくさんあったのかもしれません。

それでも、その痛みは、苦しみは、こころを覆った暗闇は。

今では立派な彼らの武器です。

 

わたしも、あの場にいたたくさんのJAMも、そしてなにより彼ら自身も。

行き場のない苦しみや葛藤をもって生きているのだと思います。いいことばかりじゃない。夢なんてと笑われることもある。「ふつう」になれなくて泣く日もある。一般社会から脱線して生きるつらさに苛まれ、夜な夜な泣きべそをかく日だってある。きっと、たくさんの痛みがあると思うのです。

それでも、それでも。

痛みがわかる分、彼らは誰にも負けない。どんな人にもどんなグループにも、どんな世間の声にも負けない。負けないって、わたしは、わたしたちJAMは、知っているのです。

暗闇に寄り添い、それでもいいよ、でも今はすべてを忘れてしあわせを感じようと、そっと背中を押してくれるやさしい人が、すてきな人が、11人もいるのです。それって、最強で、無敵なんじゃないかなって。わたしは思うのです。

 

永遠はないし、いつか……と悲観する日もあります。

うまく事務所の方針と、こころが合わない日だってあります。

彼らの努力と、ファンのこころと、事務所の方針では時々違う方向を見ている気がしてならない瞬間が多々訪れます。

言葉にできないだけで、彼らを思い悔しがって、じゃあどうすれば彼らをもっと上へはばたかせられるか考えてめそめそ泣く日だってあります。

JO1の、彼らの強さやうつくしさを知っているからこそ、本当は強く悔しがっているわたしがいるのです。

 

それでも。

彼ら11人をだいすきな心も、自分なりの精一杯の愛も。すべては本物で。

その愛情は自分のこころのなかで、メラメラと燃え盛る炎のようで、爆発する火山のようでもあって。でも、ショーケースに飾られたうつくしい宝石のようでもあって、おだやかな海のようでもあって。

形を日々変えながら、愛は胸の中にあって。

きっと変わらないものはないけれど、形を変えながら愛は確かにそこにあって。

だからこれからも。この先も。ずっとずっと。

彼らがJO1でいる限り。いてくれる限り。

そして、よなしろくんが歌声を届けてくれる限り。

変わり続けるやわらかくて激しい愛を持って、彼らを自分なりの精一杯愛して、応援したいのです。

 

わがままだって、たくさん聞きたいのです。もっともっと、わがままになってほしいのです。かなえたい夢をどんどん口にしてほしいし、JAMとしてその目標までその背中を押す追い風となりたいのです。

夢の続きを、見続けたい。

まだ、ひとつの夢をかなえたばかりだけど、夢はまだまだこれから広がっていくから、それを見届けたいのです。

これからも彼らの夢が、それこそ無限大の夢が、広がって、広がって、かなえていく未来を。わたしはJAMとして、愛し、見届けたいです。

そう思いました。

 

 

さいごに。

たくさん書いたけれど、一番に。

みんなの、11人の、笑顔と健康と、なによりしあわせを願っています。

たくさんしあわせをくれる彼らだから、世界中の誰よりもしあわせな11人になってほしいのです。

 

そして、よなしろくん。

よなしろくんの歌声が、もっと多くの人に届きますように。

もっともっと、遠くへ届きますように。

海を越え、陸を越え、どこまでも遠くへ届き、あなたのやわらかなやさしさが誰かのこころに届きますように。

あなたの歌声は、わたしの世界のひかりです。

ずっとずっと、だいすきです。

 

おしまい。

それを愛と呼ばずとして

久しぶりのブログとなります。

おひさしぶりです、せんせんです。

先日開催されたJO1 アリーナツアーの宮城公演に行ってまいりましたので、その時の話をしながら(曲名等は出しておりません)今年の数ヶ月間を振り返る日記となっています。

レポート的なブログではなく、雑記的な内容となりますので、お時間がある時、お暇な時にお読みいただけますと幸いです。

※気づけば日記部分が9割でした

 

まず、ツアーより先に数ヶ月間ツイッターにログインしない間に起こっていた話から、この日記を始めようと思います。

 

突然ですが、わたしには持病と障害があります。

※この話が後で必要なので、先に書きますが、なんか、暗い話じゃないよ!て先に!お伝えします!

10年以上苦しんだ末に障害と診断された時、ああようやくこの苦しみの理由を探す旅から解放されたのだと思ったし、どこか安心したきもちになっていて。わたしは今それらと薬と一緒に三人四脚をして、「チームわたし」として医療機関にお世話になっています。

 

なぜこの話を、と思われるかもしれません。暗い話を、と嫌な想いをされたらすみません。でも、障害ってそんな重たい話でもなくて。わたしにとっては「わたし」を形成する1つの要素なのだな、と今は考えているくらい共存しています。10年以上付き合っていれば、受け入れるしかないよねっていう諦めもあるからかもしれません。

 

さて、今は受け入れ姿勢ですが、たくさんの後悔がある人生でした。

最近映画でるきくん主演の「夜きみ」を見たのですが、ああ〜眩しい〜いいな学校生活!とキラキラした目で見ちゃいました。わたしは小学校から高校までほとんど通えなかったので、すごく羨ましくて、まぶしくて。傷だらけになりながらも進んでいく茜ちゃんと、傷ごとまっすぐな眼差しで見つめる青磁くんがあまりにまぶしくて。進んでいく、というより進むしかない茜ちゃんが、なんだか傷だらけになるたびに、自分まで深く傷つくような気がしてみるのもしんどい瞬間もあったのですが(クラスのあの雰囲気!自傷!メンタル問題!家族問題!と続くので……)映像と音楽があまりにうつくしくて、傷ごとそれらを10代特有の青さと若さと、自分じゃどうしようもない苦さがうまく重なりつつも、いつか思い出したら「うつくしかった」思い出になっていくようで、なんだかすごく綺麗なものを見たな〜と思いました。主題歌も、すごく良くて、映画館の椅子に深く座りながら思わず聞き入ってしまいました。

余談ですがわたしは茜ちゃんを送り届けて彼氏〜!?て聞かれて、否定せずただにやにや頬を緩める青磁くんのファンです。

 

脱線しました。(夜きみ感想はまたどこかで)

 

わたしは多分、学校というものに憧れがあって。

大学も病状がひどく諦めた経緯もあり(希望とは別に進学したのですが、ずっとどこかでこころに引っかかっていて)いつかまた、学ぶチャンスを得たいと思っていました。

 

同時に、ここ数年。JO1を好きになっての3年間。

わたしは何度も何度も、たくさんのことに挑戦し続けるかっこいい彼ら11人を見ていて。

挑戦し続ける多忙なよなしろくんを見ていて。

コメントを求められればしっかりしていて好きだなって思うのに、たまに(というか大体)変なツッコミを入れたり、変なボケを入れたり、でもそのへんてこな部分がたまらなく好きで、思わず気が抜けて笑ってしまう所のあるよなしろくんのことが大好きで。

自分の張り詰めていた糸が、よなしろくんのそういう部分を見るたびにゆるんでくれるんです。

歌がとにかく素敵。大好き。とにかく素敵な声を持っていて、一度聴いたら「なんて素敵な声なのだろう」と思ってしまうくらい、やさしく歌う声が大好きで。

笑った時の猫みたいな顔も素敵で、司会をさせたら誰よりもかっこいい、みんなを見る目がやさしくて愛情溢れていて。

すごくムキムキで筋肉質で逆三角形の肉体美を持ち。メールではやさしさがたくさんぎゅっとつまっていて。

なんでも素敵に見えるのに、なんかまたへんてこだ……と感じるたびに愛しさが募って。

本当に、素敵な人をわたしは応援しているんだなぁと。この3年間思っていました。

あと日焼けしたらめちゃくちゃかっこよくて最近は夏の日差しに感謝したり。人生で初めてです、夏の日差しをありがたく思ったのは。

 

でも、JO1を好きなればなるほど、よなしろくんを素敵な人で応援していて楽しいと思えば思うほど。

わたしは彼らに恥じないJAMになれているのかな、と思う瞬間がふと訪れて。

彼らの挑戦し続ける姿勢を、突っ走る背中を見て、なんだか自分も走りたくなって。泣いて立ち止まってばかりで、ずっと同じ場所でめそめそしている人生に区切りをつけたくなったんです。

痛いオタクだと思われたらそれまでだけど、わたしはよなしろくんのように「優しい人」になりたくて。にこにこしていて、やさしい人になりたくて。

正直、なんも知らないのに、優しいと決めつけるのはどうかなって思った時期もあったのですが、それでもわたしの目に映るよなしろくんって、すごく優しく笑う人だなって。そう思い続けていたんですよね。わたしは笑顔が死ぬほど苦手で下手くそだから、笑った顔が好きな人ってはじめて見つけたなあって。自分の笑った顔がすごく苦手だけど、よなしろくんの笑顔を見ていると、JO1のみんなを見ていると、自然とにこにこしちゃって。よく笑うようになったなって、自分でも驚くくらいこの3年間は緩やかにいい方向に変わっていて。

応援する人があまりに素敵だから、自分も変わりたいなと思い続けた3年間で。自分でもかなり、もう3年経つから言えるけれど、かなり、そうしたい・そうありたいと思って仕事をしていました。

 

そんな時に転機が訪れて、仕事で「この資格に挑戦してみないか」と上の方からお話がありました。

今の仕事も、すごく好きで、でもその挑戦したら?と言われたのはもっと興味がある仕事で。でも、わたしみたいな人間には無理ではないか、と思っていた時に「せんせんさんみたいに優しい人なら、きっと出来ると思って」と言われて。

え、わたしって優しい人に見えるんですか!?て驚いてしまったんです。

何人かのその職業の方とお話をして相談をした時にも似たことを言われて、ぶわ〜っと3年間の楽しかったこととか、辛かったこととか、折れそうになるたびによなしろくんのメールを見返して泣いていたこととか思い出してしまったら、急に涙が出てきました。

でも、そういう自分がめそめそしている日に限ってメールって偶然やってきたり、ああこれがわたしの走る時なのかも。そう思えました。

 

結果から申し上げると、その資格取得のために現在通信ですが大学に通いつつ、仕事をしています。

久々に勉強をして、自分に足りない知識を補うために勉強するたびに「知らないことを知れる喜び」をすごく感じていて、ああ楽しいなあって何度も何度も思っています。

 

でも、今わたしがこの選択をできたのは、資格取得を勧められたのは、間違いなくよなしろくんの影響がものすごく大きくて。

あなたのような優しい人になりたい、素敵な人になりたい。そう思い続けた3年間のおかげで、わたしの人生は今ゆっくりとですが変わり始めています。いい方向へ、ひかりの方へ。

 

これはわたし個人のファンとしての考えなのですが、わたしたちファンはアイドルの人生に交わらないけれど、ファンの人生にアイドルは色濃く影響すると思っていて。でも、それがすごく素敵で、まばゆいものだと思っていて。好きな人(たち)のおかげで、人生をいい方向へ変えられるって、すごく尊いというか、幸せなことだなと思うのです。

だから今のわたし、すごくしあわせというか。

今までの人生、病気とか障害で選択肢が狭くて少なくて、それで辛くて悲しい思いをたくさんしたけれど、こうして自分が選べるカードが1枚増えて、選択肢を増やせたんです。それがどれだけ嬉しくて嬉しくてたまらないか、言葉にすることはできません。それくらい、嬉しいんです。大学生になる!という夢も、ちょっと形は違うけれど叶えられた。嬉しいな。

 

一生この話はよなしろくんには知られないことだけど、こうしてあなたの知らない場所で勝手に憧れて勝手に行動できたJAMもいるんです。

本当に、ありがとう。あなたがわたしにとって大きな光で、荒れた海の先の灯台のような人で、本当に本当に、これからもずっとずっと、応援したい人です。たくさんの敬愛を込めて、これからも大好きだ〜って思い続けたいな。何年先も、そう思い続けたいな。

 

さて、そんなことがありTwitterから離れていました。でも歌に励まされて、頑張っていました。わたしにはJO1への想いがずっとあって、それがどれだけわたしを支えてくれたのか言葉にすることもできなくて。本当に、たくさんたくさん、ありがとう。

 

日記がすでに長くなってしまいました。でも、自分の話をどこにもできないから、こうして文字にできてよかったなって思います。

 

 

で!宮城!行ってきました!長い!前置きが!

 

授業とかの関係で今年全然どこも出歩けず、家・職場の往復人生に拍車がかかっていましたが、初の東北ということであまりの嬉しさに休みをもぎ取りました。

 

当日朝、車で遠い駅まで運転しながらバカでかい声で「〇〇歌ってくれたらいいなー!!!!!!」と高速を走っていました。掛け声の練習を小声でしたり、この曲やるかなとワクワク予想を立てるのもたまらなく楽しくて、朝4時おきなのに目がかなりばきばきでした。

 

物販もものすごくスムーズで、スタッフさんの丁寧な誘導や案内もあり、欲しいもの全部買えた!やったー!嬉しい!とはしゃいで、写真を撮ったり、旗を見てこころの中で(旗、ほしい〜)と思ったりしていました。JO1の旗、欲しいよ。

 

当日駅から会場まで、タクシーで行きました。1人で参加なので、1人でタクシーを呼び止めた時に「あの、」と声をかけられ、とても驚きました。「JAMさんですか!?」と声をかけられ、一緒に会場に向かった方はなんと同じ県のJAMさんで、すごく良い方でした。物販の番号の都合でその場を後にしましたが、今思えば!もっと!お話ししたかった〜〜〜!と後悔しています。本当に、本当に素敵なJAMさんにお声掛けいただきましてありがとうございました。本当に嬉しかったです。

この方とお話しして、いつか同じ県のJAMさんとお話ししてみたいな〜と改めて考えました。(そもそも周りにJAMがいないので、JAMさんと普通に喋ってみたくて……)

 

当日は午後から大雨で、ものすごい豪雨でしたね。気合を入れてセットした髪もぺしゃ……としつつも、スタンド席も見やすい会場に最高だ〜!やった〜!とうきうきでした。

 

ライブが始まって、1曲目でそれぇ!!!!!!!と思ったり、朝やって欲しいな歌って欲しいなと思った曲を2曲目で来たり。

さらに一番好きな曲はユニットでよなしろくんが!歌っていて!もう!何が何だか!夢!?と思って、途中からずっと泣いていました。アレンジもすごく好きで、しかも続けてくる曲も大好きで、いやもうJO1の曲全部!全部!大好きだ!と思ったら何がきても最高で、こんな幸せなことってあるんだなあ。その幸せの場所に今わたしはいるんだなあと思うと、このまま時間が止まればいいとさえ思いました。

幸せすぎて涙が止まらなくて、でもちゃんと彼らを見たいし、花道から手を振る11人があまりにうつくしくて、ぽろぽろと音もなく涙が溢れて止まりませんでした。

あとネタバレなのかわからないのですが、ユニットの時の衣装と始まる前の映像から「人魚姫の王子様では?」と思ってしまい、急にメロメロになってしまってなんかもうどろどろに溶けてしまいました。あの衣装大好き。今回の衣装全部大好きすぎて全部アクスタ出して欲しいです。飾るので……。どうにか……。

 

JAMが一緒に歌う曲があったのですが、その時のJAMの歌声の優しさと、幸せそうに笑うJO1を見た瞬間。

ああ、この日のためにわたし生きてきたのかも、と冗談ではなく本気で思っていました。感動しすぎて逆に涙が出ず、ただひたすら会場に響く優しい声の合唱にこころがあたたかくなりました。

あとこれはライブに行くたびに胸が熱くなるのですが、挨拶の時にじゅんきくんが名前を呼ばれるとたまらなく幸せな顔でにこにこするのを見ると、ああこの人がアイドルになって、JO1でよかったなあと実感します。あんなに人って穏やかな幸せそうな顔ってできるんだ、てこっちまで目尻が下がり胸がぽかぽかしてくるのです。

時間の関係でよなしろくんの挨拶が短かったのですが、きっちりとアイドルとしての顔を見せてくれるので本当にすごく素敵な方を推しているんだなと頬が緩みました。いえ、実際は悲鳴をあげていました。

 

みんなの挨拶が本当に大好きで、特に宮城のもの食べたよ(牛タンのコーレス人生初めてで楽しかったです。おいしいね。)とか、ふしぎな宮城訛りっぽい喋り方も全部が愛おしかったです。初めて宮城にきた、と喋ってくれると「東北いいところだよ〜!」とこころの中で大泣きしていました。

宮城、震災であの時被災した県同士なので、今こうしてうつくしく素敵な街になっているの改めてすごいと思っていて。またきたいなあ、と思いました。すぐ来れる距離なのに、JO1が嬉しそうに話せば話すほど宮城県への好感度がぐいんぐいんと上がって、また観光にゆっくり来ようと思いました。本当に好きな人たちを通して好きな場所やものが増えていくって、幸せです。

 

様々な感想があるのですが、詳しい感想は自分の日記(紙)に書きました。ネタバレもあるので。

それに、言葉にすることができないものが多すぎて、大体「ウワーッ!」と書いているような日記なのですが、わたしは日記が大好きなのでいつかそういう話もブログというネット日記にあげられたらいいなあと思います。わたしは日記を通して過去の自分のすきなものへの言葉や気持ちに、辛い時助けられている気がします。だから、こうして自分のきもちを下手なりに言葉にするのがすきなのかもしれません。

 

なにより、ペンライトの1つの光になって、夜空を彩る星のように小さく光って、彼らの目に映れることが何よりしあわせで。ファンとして、JAMとして、それが何よりの喜びなのだと実感しました。本当に大好き。月のように照らせなくても、小さな星として、小さな星なりに小さく輝くことができるのがファンの楽しさだと、わたし個人は思うのです。

この先も、小さな小さな光として、彼らを照らす遠くの光になれたら嬉しいです。

 

 

さて。気づけば長々と書いてしまいました。

話したいこと、ライブのこと、たくさんあるので、またお付き合いいただけますと嬉しいです。日記の部分が長く自分の話ばかりでお恥ずかしいのですが、いつかまた来年の自分が日記を見返して「この時はそう思っていたのか」と、恥ずかしさと同時に過去へのまぶしさや愛しさを思い出してくれたらと思います。

 

では、このへんで。

This is no dream, so real!!!

 何度も何度も、言葉にしたいなと思って。気付けばこんなに時がたってしまいました。

この日記をお読みになっている、JAMの皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 ライブ後もアーカイブ配信やMV、テレビ出演だけでなく、たくさんの嬉しい企画やなによりうれしい記念すべき2周年と、たくさんのうれしいニュースが続き、本当にたのしい毎日をお過ごしかと思います。

 わたしはといえば、ライブ後は朝に曲を聞いては運転中に泣いたり、よろこびと感動を抱えきれないまま情緒がやや不安定な数日をすごしたのち、今はとても穏やかにライブを振り返ったり、この先のみらいへのわくわくを抱いています。

(たぶん、わたしと同じように抱えきれない感情に涙した方も、幸福を抱きしめてずっと笑顔の方もいると思っていて。あのライブを現地や配信問わずに体験した人々すべてのJAMさんが、彼らにライブ後もこころを揺さぶられているのだろうな、と思っています。)

 

 

 これはわたしの振り返りの日記です。記憶の中の彼らの話をするので、多少お話が前後しますが、記録として残します。

(追記:ライブのお話の前に自分のはなし/日記を書いてるので、ライブにいくまでがものすごく遠くなってしまいました。そしてライブ中の話はものすごく少なくて、本当にただの日記になってしまいました。)

 本当はもっと早く言葉にして、こんなにすてきだったよ、こんなにもうつくしかったよ、と日記にしたかったのですが、慌ただしい日常に戻るとなかなか時間をとって書くことができませんでした。それだけが残念で、でもその「もっと早く言葉にしたかった」と悔やむくらい、わたしにとってあの夜はすばらしいもので、本当にまほうのような一夜で、これから先もずっとずっと、この記憶を抱きしめて歩いていきたいと思っているのです。

 


 人生のなかで、うつくしいものと出会うたび。わたしはこころのどこかにその記憶を大事に大事にしまっておきたくて、どうにか言葉にしようとするのですが、今回のライブを振り返るたびにうまく言葉に出来ないことの連続でした。

 なんだか、ようやく会えたね、というより「彼らは『いた』」「『存在した』んだ」という感動が大きすぎて、ずっと、こころが、ふわふわとしてしまうのです。

 どんな感想よりも先に「いたよ」という言葉が自然と出てしまうくらい、あのライブは、特別な意味をもったものであると思っているのです。

 

 

 今回ライブに行けたのは、たくさんの偶然が重なったからでした。

 元々FC先行などで落選していたり、この状況下で行くべきか、何度も何度も悩んでいました。行きたい気持ちが強まるたびに、落選のおしらせを見ては「やはり行くべきではないのかもしれない」と何度も、考えました。

 わたしは、そして世の中の多くの誰かを愛し応援する人は、この特殊なコロナ禍いう状況下で「行くべきか、行かないべきか」の選択を、何度も何度も迫られてきたと思います。

 自分のはなしで申し訳ないのですが、わたしは約2年間、その選ぶ選択肢すらなくて、すべての愛する作品や展示を「行けない」と最初からあきらめていました。ざっくりと理由をお話しすると、親しい人が病棟に勤務して最前線でたたかっていたり、家庭的な都合の介護問題であったり、たくさんの理由が積み重なって気付けばすべてに「行けない」という決断をしていました。でも、別にそれはわたしが自分で選んだもので、そう選んだ時点でそれはわたし自身が下した決断であり、ひとつの選択であったと思っています。だから何かをせめる気持ちではなく、先が見えない不安のなか、大変な状況下でたたかう人を見ているからこそ、その人の苦しみを知っているからこそ、見聞きしているからこそ。わたしはわたしで応援だったり支える(心理的にも)という意味で、どこにも行かないでいました。

 この選択は、本当によかったのか、正しかったのか、それは誰にも、わたしにも、分かりません。

 でも、約2年という長い月日、たくさんの「行けない」という選択を自身でし続けるたびに、わたしのこころは確実にすり減っていました。行きたい場所、見たい展示、聞きたい音楽。たくさんありました。たくさんの「でも」の連続で、あきらめるたびに、あきらめるということに疲れて様々な作品から距離を置いた時期もありました。

 ずっと好きだったミュージカル、長年特別展にはかならず足を運んだ博物館、ただただ好きな美術館。好きなアーティストのライブ。

 すべてがわたしの横を通り過ぎて、ああもうその瞬間には立ち会えないのかと、たまに悲しくて悲しくて、その悲しさに蓋をするために離れることを繰り返していました。

 

 でも、そんな約2年の、まるできびしい冬のような時期に。

 わたしが変わらずに愛し続けた存在がいました。

 それが彼ら、JO1でした。

 

 なぜここまで愛し続けられたのか、距離を置くことなく応援を続けられたのか。それは、たくさんの理由があると思うのですが、その1つがよなしろくんからのメールでした。

 わたしはもともと気持ちが揺らぎやすくて(この2年間は特にそうでした)気分の浮き沈みや、感情のさざ波や、何もできない日もたくさんあって。いつもはおだやかなこころの海も、時には荒れ狂うときもあるし、そういうのが人よりも強いのだと思います。

 たぶん、一生懸命にふつうのふりをしているだけで、そうではなくて。(そもそも「ふつう」とは?というとキリがないのですが・・・)

 


 だからこそ、距離を置こうとすると本当に遠く彼方へ、沖の方へ流されてしまう。好きなものという陸地が見えないほど、とおくとおくの沖へ、とぷとぷと流されがちなのです。

 でも、そんなふうにこころが沖へ行くたびに、引き留めてくれたのがメールだったのです。

 つらいとき、かなしいとき、うれしいとき、たのしいとき。

 いつだって変わらぬテンションで、やさしさで、たくさんのJAMへ大きな愛を届けてくれるよなしろくんのメールは、わたしにとっては灯台のような存在でした。

 元々、彼を見ると「まばゆい人」と思う瞬間は多々あったのですが、沈んでいるときにもらうメールほど、まぶしさを感じる瞬間はなく。ただただ、その明るいひかりに導かれ、わたしは沖へ流されず、ずっとJAMというおだやかな海の、流れがゆるい浅瀬あたりを、ずっとちゃぷちゃぷ漂えたのだと思います。

 

 そうして先が見えないなか、ライブの現地にどうしても行きたくて、いろんな人に相談をしました。いっそ最初の先行で当たっていれば、当たったからと理由をつけられたのかもしれない。けれど、現実はそうではなかったので、何度も応募をするたびに、わたしは本当にこれでいいのか、と本当に悩んでいました。

 でも、どうしても、現地に行きたい、その気持ちが捨てられずに、何度も何度も応募をしていました。でもなかなかご縁がなく、すこし凹んでいるおりに「行けるなら行った方がいい」「まだチャンスがあるなら、申し込んだ方がいい」と背中を押され、リセールに申し込みをしました。

 結果、最初の抽選でご縁をいただき、ひとつのお席が用意されました。

 

 うれしい気持ちと一緒に沸き上がったのは「このお席は誰かが行けなくて、何かしらの事情があって、手放すしかなかったお席」という、見えない相手へのきもちでした。

 相手が分からないリセールだからこそ、どんな事情があって、どんなお気持ちでリセールに出してくださったのか、その気持ちやこころは、わたしにはわからないけれど。わからないなりに、相手を心配したり、感謝したり、同時に「チケットを出してくださった方の分も、2人分としてたのしもう」と思えました。

 チケットはひとり分だけれど、リセールでご縁をいただいたのだから、ふたり分。そんな気持ちでした。

 こうして今振り返っても、あの特別な空間を、まほうのような時間を、すてきな時間を過ごせたのは、見えない誰かがチケットを出してくれたからで、本当に今も感謝でいっぱいです。

 大切な1枚を、大切な時間を、譲ってくださりありがとうございました。

 

 当日、幕張に向かうために朝早くの新幹線に乗りました。

 新幹線に乗るのは久々で、いつもなら窓の外を見ずに携帯の画面ばかりをみるのに、あの朝はそんな気分になれなくて、通り過ぎていく木々や風景をじっと見ていました。わたしは山奥に住んでいるのですが、山奥から駅にいくと景色が変わるように、駅から駅の途中でどんどん景色が変わっていくのが、ものすごく気持ちをわくわくさせたんですよね。どんどん都市部に近づくにつれて、ああもうすぐ!もうすぐ!と胸が高鳴りました。ライブってこんなにわくわくするんだっけ、と2年ぶりのときめきが、どっと押し寄せてきたようでした。

 

 今回、グッズを買うための抽選にも参加できなくて、さみしさを感じているときに、長い付き合いのあるフォロワーさんが「代行しますよ!」とお声かけしてくださって。ギリギリまで悩んでいいですよ、と言われたけれど「うちわ、お願いできませんか」とどきどきしながらお願いしていました。

 その方ともお会いするのは久々で、お互いにJAMになってまさかお会いできるとは思わなかったし、また好きな人と好きなものを共有できるのって本当にうれしいなあ、とこころがぽかぽかしていて。無事に買えました、とご報告いただいたときに胸のあたりがかーっと熱くなって、いよいよ始まりが近づいてる!と、物凄く嬉しかったんですよね。

 お会いした時に「お互いに初うちわですね……!」「はじめてのアイドルのうちわ……!」とうれしさと、照れが混じった気持ちで笑いあって、始まる前からこんなすてきな気持ちになれるなんて、とずっとぽかぽかしていました。

 お互いにはじめてのうちわが彼らで、JO1で、よかったですね、と笑いあって。そんなきもちが、愛おしさが、本当にうれしかったんですよね。

(うちわを受け取った時に、あまりにかっこよくて「かっこいい~!!」と気持ちをはずませて、ふたりできゃっきゃとお互いのうちわを見ていたのもすごくうれしかったです。お互いに応援する人を、堂々と、かっこいいですよねと言い合える空間って本当にうれしい!そしてお互いが「かっこいいですよね」と褒めあえるのもうれしかったのです。)

 

 ライブ前におわかれをして、会場に向かって。

 電子チケットに、スタッフさんがぽんと判を押してくださって。人生はじめての電子チケットだったので「わ~!」となったのですが、後ろにも人がたくさんいるのでそそくさと入場して、お席に座りました。

 

 お席は一番後ろでした。入って会場の広さにどきどきしつつ、しかし、わたしは瞬間的に「いける」と思いました。

なにが、と言われると言葉に出来ないのですが、モニターのサイズや花道の距離を見て、バッグから出した防振のメモリを合わせている間、こころのなかで(絶対に見える!)と確信をしていました。いままで過去に色々な会場に飛び回りましたが、自分の今までの経験がこうして謎の自信となり、絶対に見えるし見るぞと思えるのが、すごくいいなって思いました。

 会場に入ったのに、まだ実感がなくて。けれど、人々のざわめきのなかで防振を握ると「来たんだ!」とわくわくがぶわっと押し寄せてきました。

 ブロックVとEの間に通路があったのも大きくて、人がそれだけ密集していないから隙間は必ずあるし、なによりモニター大きいし全部見える!と思うと頭の中で「やったー!」てなったんですよね。そもそもその空間にいれることが嬉しいし、その時点で譲ってくださった方の分も楽しむ気満々だったので、ずっとにこにこしていたと思います。

 わたしはどんなお席でも、「その時座った席が、その時の自分にとっての一番の良席」とこころに刻んでいるので、見えない空間を最初に目星をつけてここに人がいたらモニター側やこちら側を見てみよう、と切り替えて、始まる前から物凄く楽しんでいました。

 

 お席に座ると、周辺でずっとちいさな声で、彼らの話が聞こえて。当たり前ですが、この空間にいる人すべて彼らがだいすきで、応援している、JAMなんだ。そう思ったら急に涙が出そうになって、物凄く感動してしまいました。後ろの座席だから、前にたくさん人がいて、そのひとりひとりが誰かを応援しているJAMだと思うと、本当になぜか、うれしくなってしまったんですよね。わたしのまわりにいるJAMって、実際にお会いする人だとわたしに彼らを教えてくれたひとりだけで、いつもどこかでJAMさんを探していました。

 SNS上で一緒にすきだと盛り上がってくださる方も、きっとインターネットの海を越えて実在する。けれど本当に実在するのか……JAMさんってどこにいるのだろう・・・・・・と日々思っていたので、こんなにたくさんJAMさんいる!!!と思うと始まる前からわくわくが止まりませんでした。

 そして耳に飛び込む単語が全部知っている名前で、言葉で、ひとりで来たことを少し後悔しました。こんなにも彼らの話をずっとしている空間で、一言もしゃべらずにいるのは、むずむずがとまらず(でも静かに待たなきゃ、と思ったので道ばたの石のようにただ黙ってその空間をかみしめていました)どきどきと緊張で、臓器がひっくり返りそうになっていました。

 でもそんななかで、お隣さんが話しかけてくださって。ふたりでしずかに、こそこそぽつぽつ喋るうちに「本当に存在するんですかね」という話題になりました。

 実在、するのかなあ。

 本当に、いるのかなあ。

 お互いに「でも、もうちょっとで会えますね」「本当にいるんだってわかるんですね!」と小さな声でこそこそと喋って、「始まったらどうしよう!」とか「〇〇くん、本当にかっこいいから……」って全員の名前を挙げて。本当に、友人以外ではじめてJAMさんと喋れてうれしかったです。両隣(反対お隣さんもご挨拶?してくださって・・・)が本当におやさしい方で、始まる前からすでに「もう楽しい・・・」状態でした。

 コロナが収束したら、たくさんのJAMさんといつかお話してみたいなあ、とこっそり夢が出来たりしました。

 

 そのうちに段々と時間が迫り、会場の照明が落とされると、先ほどまでの小さなざわめきが収まって静かに、ただ静かに会場の空気が変わって、彼らを待っていました。

 

 そして、扉が開かれた瞬間。

 会場が一瞬、小さな歓声に包まれました。

 本当に、その一瞬。その一瞬だけ、歓声がわずかにあがったのです。

 本来、歓声禁止だから、誰もかれもがその声をあげようとしてあげたわけではなく、ただ自然と、口から、体から、そのこころから、あふれ出てしまったような声でした。

わたしはといえば、ただどきどきが止まらなくて、手に持った防振が僅かに震えながら、その扉が開くのを待ちました。

 すべての扉が開くと、10人の、本来の人数よりひとり少ない、10人の姿がありました。

 

 そこからの記憶は断片的で、しかし、ただただ、じゅんきくんの歌声で幕が開き、扉が大きく開かれたとき、ああ、ここが世界の中心かもしれない、とあの瞬間、たしかに思ったのです。

 もし歓声が許可された世界ならば、あの堂々たる歌声が響いた瞬間、割れんばかりの歓声が響いたことでしょう。しかし、わたしたちはただ静かに、その歌声の発する力に体を震わせ、開かれた扉のなかに飛び込んだのです。

 彼らの歌声が、ひとりひとりの声が、わたしたちをまほうのような時間へと、その開かれた扉のなかにある「彼らはいたんだよ」「存在したんだよ」という世界にぐいっと引き込んでいったのです。

 

 画面越しではない彼らは、ひとりひとりが輝いていて。

 ときには激しい炎のようにギラギラと、ときには星のまたたきのようにきらきらと。

 よく知っている顔のはずなのに、こんなにもかっこよかったのだと、ひとりひとりの顔を見るたびに思いました。

 見えづらいときはモニターを見て、見える範囲で彼らを追って、ああこんなお顔で、こんな表情で、パフォーマンスをするのかと、ひとりひとりにどきどきしていました。

 なかでも、わたしが目で追ったのがよなしろくんで。

 歌ったり、パフォーマンスをする姿をみて。その存在を確かめるたびに、なんだか涙が出てしまって、本当にいたんだとその一瞬一瞬を噛みしめていました。本当にかっこよかった。分かっていたけれど、分かっていたつもりだったけれど、本当に本当に、わたしの応援する人はこんなにもかっこいいんだなあって。かっこよくて、きらきらしていて、まばゆくて。

 

 今まで、頭では分かっていたんです。

 彼らは存在するって。

 ちゃんと、いるんだよって。

 でも、こころでは、本当にいるのだろうかという不安に似た感情が常にあって。

 そのモヤが勢いよく晴れて、吹き飛ばされて。彼らの大きすぎる存在感に圧倒され、ずっと防振を握る手が震えていました。

 わたしの心にあったモヤを吹き飛ばしたのは、扉が開いたときのじゅんきくんの力強い歌声で。10人の声とダンスで。あの一曲が、わたしにとって、そして多くのJAMさんにとって、かけがえのない一曲に改めてなったのだと思いました。

 

 それからはもうずっと、ずっと、楽しくて。

 花道に来ると表情がよりくっきりと見えるし、自分の視野にモニターも入るのでダブルで見れて楽しんだり、遠くになると全員のパフォーマンスが視野に入るからよりどきどきしたり、物凄く楽しかったです。

 映像の場面になると着席もあって、座る度にどっと喜びが体を重くするようで、でも立ち上がると軽々としていて、重力でさえもどこかへ行ってしまったような感覚でした。

 

 ライブ中印象的だったのは、みんなが何度も何度も、うれしそうに「JAM!」て呼びかけるところでした。

 本当にうれしそうに、何度も何度も呼ぶし、実際ににこにこした顔をみて、ああ本当にうれしくてうれしくて、しかたがないんだ。そう思うと急に涙が出て、ああ早く歓声ありにならないかなあと頬を涙でぬらしながら、しみじみ思っていました。

 

 はやく、みんなの「JAM~!」という声に、返事ができるといいな。

 拍手で伝えられるものもたくさんあるけれど、きっと歓声でしか伝えられないものもきっとあるから。彼らの呼びかけに、返事をして、はやくたくさんの歓声を届けたい。彼らをもっともっと、笑顔に出来たらいいなと、ずっと思っていました。

 

 彼らひとりひとりが、たのしいと感じるこころ。

 でもきっと、まだ、まだまだ、もっともっと、もーっと、たのしいと思ってほしいから。

 歓声ありの世界になったら、思い切り、声を出したいですね。

 

 あの日はそれが出来ないから、たくさん拍手して、たくさんたくさん、拍手して。

わたしのちいさな自慢が声と拍手が大きいというものがあって、ほんとうに一番うしろだけれど、拍手もふたり分くらいの気持ちでしていました。会場にいて拍手がおこるたびに、きっとたくさんのJAMさんも、声を我慢するかわりに大きな拍手をしていて、会場全体が何度も大きな、あたたかな拍手に包まれてしあわせでした。

 

 

 

 ライブ後半でアンコールとして再登場したとき。

 ひとりひとりの挨拶が、こころにしみました。

 改めて、ひとりひとりが、このライブに向けてどんな気持ちで、どんなことを今思っているのか知れて、すごくうれしかったです。

 

 たくさん、つらいことも、くやしいことも、たくさんたくさんあったでしょう。

 わたしたちJAMには見えない、見せれない、たくさんの苦労が。たくさんの苦しみが。ゴールが見えないなかでも立ち止まれないからこそ、努力をし続けるからこそ、トップを目指すからこそ、見せない涙や汗がたくさんあったことでしょう。

 でも、その先で「ようやく」会えて。

 その爆発したよろこびを見て、聞いて、わたしはずっとずっと、ああこの人たちが、11人が、ずっと笑っている世界ならいいのにとずっと思っていました。こんなにもまばゆく、やさしく、いとおしい人たちが、ずっとずっと、笑っている世界ならいいのにと。わたしは強く強く願わずにはいられないのです。

 

 

 ひとりひとりの挨拶に関するメモがあったので、それだけは日記に残そうと思います。

(ライブ当日の20日夜)

ちょっとお手紙みたいになっちゃった。

 

 れんくん。

 れんくんが「楽しい時間を過ごせましたか?」と聞いてくれたとき。痛い程拍手をしました。にこにこと笑いながら、目じりを下げて問うあなたが、本当にやさしい声をしていて。わたしはやっぱり、れんくんの喋り方がすきだなあって思っていました。やわらかで、あたたかな声音が、もう終わってしまうというさみしさより何千倍も「たのしかったよ」と伝えたくて、本当に伝えたくて、ずっとずっと、拍手をしていたよ。

 「このすてきな時間は、同じ時間は二度と来ない」という、刹那のうつくしさを、わたしは何度も何度もかみしめて。今もメモを見ながら、あなたのゆっくりと紡がれた言葉の重みややさしさを感じています。

 遠くに行けるように。長くいれるように。

 その言葉が、ずしんと胸にきました。遠く遠く、トップへの道のりは長く険しいかもしれないけれど。すこしでも、みんながJO1として長くステージに立ち続けるように、たくさん、応援するよ。JAMはあなたたちの味方で、ずっとずっと大好きだから、どんどん遠くへ行けるように、その背中を押すあたたかな春風のような、強くてやわらかなものであろうとするよ。日本へ、世界へ、もしかしたらみらいでは宇宙にいくかもしれない。それくらい、わたしはJO1の可能性を信じているよ。

 

木全くん。「こういったことが、いっぱいしたいなって。僕は思っているのですが」「これからも皆さん。ついてきてくれますか?」と問うその顔と、拍手をもらったあとでは、まったく表情が違って見えました。

 木全くんの問いかけは、きっと木全くん自身のこころからの問いかけでもあったし、メンバー全員のきもちでもあったのかなってずっと勝手にわたしは思っていて。だからこそ、たくさんの拍手が会場を包んで、その頬をゆるめたとき。本当にこっちまですごく嬉しくなりました。

 やっぱり、笑っていると嬉しいんです。嬉しくなるんです。

 その笑顔を、ずっとずっと見れるように。   

 「また、会いましょう」といってくれた、その言葉のために、わたしは今日も、明日も、がんばろうって思えるよ。

 

しょせ。「こんなにたくさんの方に愛されているんだと思って」とはじまったあなたの言葉に、どきんとしました。そう、そうだよ!て思ったし、それ以上に、この会場にはおさまりきらない、カメラの向こう側で配信を見ているひとたちや、その日は見れなくてアーカイブで見る人もふくめて、本当にたくさんの人が、あなたを、あなたたちを、こんなにも愛しているんだよって思って、胸がウウ!てなりました。

 2年、という月日をその口からきいて、本当に長い長い冬のように、きびしい時間を過ごしたことと思います。

「やっと、僕たちの扉が開いたと思うので」「これからも、絶対、しあわせにするので」と一言ずつ重みをもたせて「僕たちについてきてください」と言い切るその笑顔に、もうくらくらしました。

「僕たちのことを。もっと、もっと。大好きになってください」

 その言葉に、もう目頭がぐわっと熱くなって。すき、という感情は積み重なって、どんどん高くなるから。宇宙のはるか彼方に届くくらい、そのすきという感情を積み上げていきたいと思いました。いまも大好きだけど、もっともっと、大好きになるのがたのしみです。

 

 豆ちゃん。

 豆ちゃんのさわやかな挨拶に、わたしは思い切り胸を掴まれています。かわいくて、かっこよくて、どんどん大人になっていく豆ちゃん。

 これからどんな大人になっていくのだろうと、あなたを見ているとその明るい未来に思いを馳せてしまいます。

「リハーサルのときから、JO1のみんなといっしょに。みんなのことを考えながら、ステージを作ってきました」

「本当に、最高の仲間に恵まれたなと、僕は心から思っています」

 その言葉を言いながら、左右をゆっくりと見る豆ちゃんをみて、わけわからないくらい泣きました。時には笑いあい、時には真剣に向き合う、大切な仲間が両隣にいて、彼らを信頼している強い眼差しが、まぶしかったです。本当に、豆ちゃんが出会った大人たちがJO1の彼らでよかった、そう思ったのです。

 

 たくみくん。「今日は、この夜公演は、今までのライブで……一番たのしかったです」

 そう言い切ったとき。一番を「いっちばん」と言っていて、本当に、本当にたのしかったのだと、こころにじわじわとその喜びが広がってきました。

 この時間が僕の宝物、という言葉をゆっくりと噛みしめながら、「みなさんがいれば、僕たちは何も怖くないし、僕たちは皆さんのそばにずっといるし」と続けたとき。

 な、なんてすてきな挨拶なんだ、と感動のあまり涙が止まりました。

「みなさんがいれば、僕たちは何も怖くない」

 その一言が、どれほど頼もしく、喜ばしい言葉であるか、言葉にできない自分の語彙のなさがはずかしい。くやしい。本当に、その言葉が、表現が、わたしにはどんぴしゃに刺さりました。

 あの時のたくみくんの言葉が、わたしはあまりにすきで、うつくしいと感じていて。彼の表現するしあわせを、わたしはずっとずっと、胸にしまっておきたいと思いました。本当にすてきな言葉をJAMにくれて、ありがとう。

 

 じゅんきくん。

 あなたの挨拶は、わたしがその日一番涙があふれて、アーカイブで見たときのメモもぐちゃぐちゃで。正直、文字にはできなくて。言葉にもできなくて。それでも、あなたの挨拶があの日いちばん胸にきました。

本当に、わたしはじゅんきくんのまっすぐさというか、心優しさというか、そういうこころの清さや、やわらかなものにふれて、どうしようもなくこころを揺さぶられました。

「ずっと歌ってて」「歌い続けて」そう幼い頃を振り返りながら、その瞳が照明できらきらと輝いているのは、照明だけじゃない気がして。

 かなり言葉を選んで、お話しして。そのなかではっきりと「夢は、叶うんで」と言った瞬間に、わたしのなかで何かがはじけて。

 デビューしてから、ようやく、人前で、じゅんきくんや皆のことが、だいすきで、だいすきで、しかたがないJAMの前で歌えて、ようやく「夢は、叶う」と思ってくれたのかなと思うと、なんだか涙がとまらなくて。

 真面目で、一生懸命な人が、報わる瞬間。わたしはそれがいちばん、うれしいのかもしれないなあって。がんばっている人が、そのがんばりに報われて、夢を叶えて。その叶えた瞬間に、時間に、立ち会えている。こんなまばゆいこと、あるのかなあ。それは11人全員に思っているけれど、あの日あの瞬間に、その思いが大きく弾けた気がしました。

「ずっと、歌い続けるんで。ずっと聞いててください。」という言葉もすごくよくて、メモを見てわたしはまたうるっとしています。はやく映像でまた見たいです。

 

 けいごくん。

 「めちゃめちゃ今、幸せです」と言ったとき。すごくうれしかった。

「はじめて目を見て会う人だっていると思うのに。なんだか、はじめて会った気がしないというか」

 ゆっくり、一言ずつ言葉を選んで、「ぼくたちは見守られている」「ずっと僕たちを見ていてくれたんだなって」と続けて、なんかもう、すごくいい言葉選びだなあ、すてきだなあって。言葉を選びながら、何度も頷いていて、自分の言葉でしっかり伝えてくれる人なんだなって思ったんです。

「はじめて会った気がしない」という言葉で、どれほど会場が、ライブの空気が、あたたかなものだったか伝わるようで、なんだかもうすごくよかったし、うれしいと思ったのです。

 けいごくんの選んでお話しした言葉がすごくすてきで、メモでもすごく好きだって何度も書いてあって、本当にすてきな挨拶でした。

 


 よなしろくん。

 よなしろくんが最初に、配信で見ているJAMについてふれてくれて、すごく嬉しかったんです。

 このライブに、来たかった人。行けなかった人。たくさんいるよ。きっと、本当にたくさんいるんだよ。そして海外だと今の状況下ではむずかしさが増すよね。だからこそ、あなたが最初に英語で感謝を伝えてる姿を見て、この人が推しでよかったなあって。やっぱり、よなしろくんはすてきな人だなあって。かっこいいなあって。本当にこころから思いました。あなたのそのまっすぐなやさしさに、どれほどこころを動かされ救われたことでしょう。

 そして「伝わったかな?」と笑う姿に、きっと海の向こうや、画面の向こうはもちろん。きっとこれからこの挨拶がもし円盤化したら、たくさんの人のこころに届くのだろうなあって思うんです。

 そしてJAMへの感謝や約2年の月日を振り返ったあとに「ここがゴールじゃないので」とはっきり言う姿が、胸に残っているんです。

 約2年。先が見えないって怖かったと思うんです。たくさん不安で、苦しい時だってあって。きっと見せれない苦悩は山のようにあったかもしれない。

 それでもあの日みた景色が、よなしろくんのこころを動かすものであったのなら、今までの苦労も乗り越えて良かったと思えるのなら、どれほど嬉しいことでしょう。

 あの日は、あのライブは、間違いなくスタートラインで。でも、走るのが得意なみんなだから、きっとどこまででも行けるよって思うんです。たくさん努力して、たくさん頑張っているみんなだから、世界だって宇宙だって、もしかしたら月にだって、本当に届くかもしれないんだよ。

 わたしはよなしろくんが笑顔でいてくれたらすごくうれしい。そして、だいすきなあなたの歌声がもっともっと、もっと遠くに届くように、これからも応援するよ。もっともっと、もーーっと。遠くに行こう。行けるよ、JO1なら。

 


 るきくん。

 るきくんは、最初にすべての関係者の方へ感謝を伝えて、頭を下げていて、本当にかっこいいアイドルだな、すてきなアイドルだなって思いました。お礼が言える、感謝が言える人がすきなので……。

(そして毎回誰かの挨拶のたびに、深くお辞儀をするJO1のみんなが本当に大好きです。かっこいいね。)

 今回の歓声のない、声が出せないという状況下で、楽しませられるか、すごく考えてくれてありがとう。その気持ちは、ものすごく伝わっているよ。声が出せなくても、こんなにあたたかな空間になるんだってくらい、本当に楽しかったんです。

 るきくんが、その状況で不安だったと伝えてくれたあとに

「声がなくても、皆さんがここにいてくれるだけで、もう最高です」

 そう言ってくれて、もう、ここでね、歓声があげられる未来にはやくなってほしいなあって思いました。かっこいいよね。拍手をしながら、来れて良かったなあって泣きました。

 最高って言ってくれて、ありがとう。その最高が、この先何度も何度もあって、何度も何度でも更新されたらいいな。

 


 しおんくん。

 しおんくんの挨拶の始まりのおかげで、しんみりとしてべしょべしょに濡れた顔が、一気に明るくなりました。思わずふふっと笑みをこぼしそうになる掴みで、いいなあって。しおんくんの挨拶が最後で、よかったなあって振り返っても思うんです。だってしおんくんのお陰で、涙も飛んで、すごく楽しい気持ちになれたなあって思うんですよね。

「本当に存在してるかも分からない僕たちに、ずっと着いてきて、本当にうれしいなって思います」

 その言葉に、そっか、わたしたちJAM側が(JO1って本当にいるのかなあ)とどきどきしていたきもちが伝わっているというか、しおんくんは知っていてくれたんだなあって挨拶を聞いて思いました。

 しおんくんは、知れば知るほど繊細でやわらかなこころの人という印象で、その印象がよりくっきりと残る挨拶だと感じました。

 お互いにJAMっているのかな ~、JO1っているのかな ~、みたいなふんわりとした不安は、ライブを行ったことで両者から消え去ったのだと思います。すごく、いいなあ。

 最後に韓国語で挨拶をされていて、そういうところがすてきだなあって。

 


 そしてまたたくみくんの挨拶で、JO1もJAMも、スタッフさんも、みんなしあわせな1日と言ってくれて。

 あまりにしあわせで、ゆめみたいで、でもゆめじゃなくて、現実で。そのきもちで泣いていたら最後の言葉が「This is no dream, so real」で、もうぐわっと、涙が止まらなくて、最高の選曲だ ~ ~ ~ ~ ~……てばしゃばしゃ泣きました。

 


あの日は夢のようだけど、夢じゃなくて。

たくさんのしあわせという魔法があふれていたけれど、現実に起こったことで。

JO1は、目の前にいる。

JAMも、たくさんいる。

本当に、ゆめみたいな時間だったね。

ゆめだけど、ゆめじゃなかったんだね。

 


そこからはあっというまで、会場が明るくなってようやくはっとして。

横のJAMさんと顔を自然とおたがいに合わせて「いましたね」と確認するように囁きあって。

「JO1、ほんとうに、現実なんですね」

そう言葉にしたら、あらためてしあわせすぎて、なんてしあわせなのだろうと涙が込み上げそうになって。

でもその涙を上回るくらいしあわせだったから、帰り道はずっと笑みがうかんでいて、ほんとうにほんとうに、ああ来れてよかったと、まほうにかけられたような気持ちでした。

 


 JO1。

 かっこよくて、礼儀正しくて、やさしくて、やわらかなこころを持った人たち。すてきな人たち。すてきな、だいすきな、アイドル。

 本当に、よかった。

 いてくれて、パフォーマンスを見れて、その笑顔のきらめきをみれて、よかった。

 挨拶のたびにみんなで揃って深くお辞儀をする、みんながだいすき。自分の気持ちを自分の言葉で伝えてくれる、みんながだいすき。すてきな、きらきらした言葉を選ぶ、みんながだいすき。

 こころから、みんなをかっこいいと思います。

 


 改めて、出会ってよかった。

 まばゆいあなたたちに、出会えて良かった。

 そう何度も何度も何度も何度も思ったけれど、あのライブでまたその思いが強くなりました。

 本当に、ありがとう。

 わたしの人生に、たくさんのきらめく星を与えてくれて、ありがとう。

 


 気づけばこんなに長くなってしまった。本当はもっと書きたいことがあるけれど(歌やダンスや衣装も!)ここらへんでしめます。

 


 本当に、ありがとう。

 ずっとずっと、ずっとだいすきだよ。

 これからも、応援します。

拝啓よなしろくんへ

※日プ再放送やったー!の前に、自分のいまの気持ちをまとめた日記です。

 

 

JO1と出会って、数か月がたちました。

その間に、いろいろなことがありました。

なにから話せば、と思いますが、わたしのなかで「愛だなあ」と思った瞬間のことをどうしても書き残したくて、日記を書きます。

JO1の話題というより、わたし個人が與那城くんへ感謝などを綴っている日記ですので、お時間あるときに読んでいただければ嬉しいです。

ツイッターの180字じゃ到底収まりきらないお手紙形式の文章ですが、自分なりにまとめます。

 

 

よなしろくんへ。(いつもひらがな表記なので、ひらがなで表記します)

まず、デビュー1周年おめでとうございます。

ライブや、テレビ出演などでお忙しいのに、たくさんたくさんメールをくれてありがとうございます。あなたが送ってくれるメールは、職場と家を往復する毎日を明るく、そしてやさしく照らしてくれる、やわらかな光でした。

わたし個人の話でお恥ずかしいのですが、夜遅くまで残業をしていた月がありました。深夜2時過ぎまで仕事をしていたとき、自分と社会が徐々に切り離されていくのを感じていました。曜日感覚もなくなって、あなたからのメールで「月曜日かあ」「金曜日かあ」と感じているような生活でした。こころが折れそうなとき、どうしても逃げ出したくなるとき。つらくて休もうかと悩んだとき。わたしは、ちょっとだけメールを読み返してがんばっていました。そのおかげで、わたしは健康のまま休まずがんばることができました。おれずに、めげずに、笑顔で頑張れたのはあなたがメールで描く「わたし」のお陰でした。

 

よなしろくんのメールは、「わたし」という名前変換された彼女(のような存在)がいます。

最初こそなんとなく気恥ずかしかったり、ちょっと照れていたのに、今ではあなたが思い描く「わたし」という存在が、わたしを良い方向に変えてくれているんです。

こんなふうに見える、と良い方向に書かれれば書かれるほど、じゃあそのくらいになれるようにがんばろうって、ちょっとおこがましいかもしれないけれど思っているんです。コロナを理由にジムを休会していましたが、4月から再開も検討しているくらいに……。

がんばっている「わたし」という存在は、じゃあがんばろうかなって思うひとつのきっかけになっているんです。そんなすてきな変化、あなたと出会わなきゃなかったのかなって思います。

 

そして、わたしが日記を絶対に書こうと思うことがひとつあります。

それは、先月の地震についてです。

(※ここからは震災と被災についてのはなしがはいります)

(※メールの内容についてふんわりふれています)

 

先月、2月13日に福島県沖で震度6強の地震がありました。

わたしの家は本が落ちたくらいだったのですが、職場がおもいきり被災しまして、もう足の踏み場もないし照明も落ちるし、もうぱっと見た瞬間に乾いた笑みを浮かべるほどだったんです。ああ、もうだめだ~って。もうめちゃくちゃで、断水もして、思い浮かんだのは10年前のあの日でした。

 

今年は東日本大震災から10年という節目で(節目、というけれどわたしたち被災者にとってはただ日常の延長であるのかな、とわたし個人は認識しています)

そんななか発生した大きな地震は、わたし(被災者)のこころに大きな影響を与えました。

「また大地震がくるのかもしれない」「今片付けてもすぐに来たらどうしよう」「もし職場で被災した場合の避難経路はどうなるんだろう」「いつまで断水は続くのだろう」と、めちゃくちゃになった職場を片付けながら思いました。

もし、もし今被災したら。

そう考えると、こわくて、やっぱりこわくて。わたしたちは長い時間をかけて、10年前の傷を癒してきたけれど、やっぱり傷は傷でしかなくて、先月の地震はそのかさぶたをゆっくりとはがされるような気持ちになったのです。

 

地震の翌日は2月14日ということで、バレンタイン!という内容のメールが届きました。

恐怖心があるなか、その内容のメールは「いつも通りのよなしろくん」で、どこかほっとした自分がいました。でも、どこかで、やっぱり、大きな地震があっても少し離れれば当たり前に日常を過ごせるんだというふしぎな感情がありました。世界が切り離されるような、ちょっとだけさみしさを感じました。

 

でも、しばらくたってもう1通メールがきました。

「昨日の地震大丈夫だった!???」

たった一言のメールでした。

いつも、スクロールする回数に驚くくらい長いメールをくれるよなしろくん。

笑っちゃうくらい長くて「こんなに長いの!?」とJAMの友人とうれしくてうれしくてはしゃぐメールをくれる、よなしろくん。

たくさん写真をのせて、いっぱいいっぱい考えられていて、メールを届けた先にいる人へ笑顔をくれるよなしろくん。

そんな彼が、たった一言メールをくれたとき。

漠然と。ただ、ただ漠然と。

「あ、『今』送ってくれた」

そう思ってしまったのです。

よなしろくんの『今』と、わたしの『今』が、はっきりと、強く、繋がった気がしたんです。

 

メールは、いつ書いてくれるか全く分からないけれど。

でも、たしかに、あの瞬間。あの瞬間は『今』なのかもしれないと思ったのです。

そして、そのメールを受け取って。

もう、物凄くうれしくて、力が抜けて、被災地から離れた場所からこうして「大丈夫だった!?」と心配してくれることが、ただひたすらにうれしくて、胸がじわじわ熱くなってこっそり職場のトイレで泣きました。

それまで、職場のみんなで「やるしかない」と片付けをしていて。でも本当にこわいし不安でいっぱいで、そんなときに心配の声が届くと、ああそっか~大丈夫じゃないよって言ってもいいのか~!て思えてしまって。弱音を言えるのって「大丈夫?」て声があってこそなので、こうして弱音を吐き出すきっかけをくれたことが嬉しくて胸があつくなりました。

本当に、こんなときにメールをくれてありがとう。

被災地にいるJAMは、あなたのファンは、ただひたすらに、あなたに感謝をしました。

気にかけてくれてありがとう。

心配してくれてありがとう。

遠く離れた場所でも、不安な心にやさしい声をかけてくれてありがとう。

ひとりのファンとして、JAMとして。

わたしは、こころから。あなたへ感謝と愛でいっぱいです。

本当に、ありがとう。

 

それから、ちょっとだけまたわたしのはなしだけど。

よなしろくんが、そしてJO1が頑張っている姿、輝いている姿を見るたびに。「自分は何がやりたいのか」と本気で考えるようになりました。

あなたたちのお陰で、新しい道へ一歩。足を踏み出そうとしています。

正直不安でドキドキするし、緊張します。けれど、そんなときはあなたたちの顔を思い出して、胸に音楽というあたたかな光を宿して、ちょっとだけ頑張ってみようと思います。

 

JO1の音楽は、わたしの人生にはなかった「あたたかい音楽」です。

こころに元気と勇気を。さんさんと照らす太陽のように。

あたたかな光で満たしてくれる、やさしい音楽です。

 

どうかあなたたちの輝きを、きらめきを、これからも見守らせてください。

そしてよなしろくん。

あなたが思わないところで、誰かの(わたしの)こころを救っています。

どうかこれからも、たくさん笑顔でいてください。

 

そして!最後になりましたが!日プ!再放送ですね。

わたしが見たいよ、見たいよ、と泣いた過去が救われました。

よかったね、過去のわたし。

よかったね、たくさんのJAMのみなさん。

よかったね、これからわたしがJO1気にならない?と勧める友人一同。

わたしの知らないあなたたちを見れること、知れること、心からわくわくします。

「知らない」を知りたいな、と思うこと。知ろうとすること。

それって、とっても愛ですよね。

とても楽しみです。

では、また日記を書きますね。

 

微力ながら応援しているJAMより、愛をこめて。

JAMになる過程で、ふと考えたこと。

前回の「好きかもしれない……」「気になる……」といった内容のブログから、早いもので、かれこれ数週間がたちました。

前回は、誰かに知らせたい(こんなにもわくわくしている!という感情を)という気持ちで書きましたが、今回は「こんなにも楽しいよ」「実は動画をみて、考えて、自分なりに咀嚼している途中で救われちゃったんだけど」の今を綴りたくてブログを書きます。

友人にもブログを見せたので、普段の話し言葉で綴りたいと思います。

 

前回のブログを書いた9月6日に、FC入会とメールの登録をしました。

オーディションである本編(というか、なんと表現すればよいのでしょうか)を見ることが出来ないからこそ、彼らの「今」を知るにはまずFCのコンテンツから、彼らひとりひとりの輪郭をとらえようと思ったのです。

JO1を勧めてくれた友人に「入会したよ」と伝えたところ「じゃあFCの映像を紹介できる!」と言われ、真っ先に紹介されたのがJAM with SHOでした。

素直に申し上げて、びっくりしてベッドの上で転げて膝を強く打ち、痛みのなか「アイドルってすごいなあ」と思ったことを覚えています。

つい数時間前まで、歌がうまい!歌がうまい!という気持ちでいっぱいだったからこそ、急に与えられた甘い雰囲気にびっくりしちゃったのかもしれません。

(かもしれません、というのはあれ以来動画を見れないでいるので…振り返った今、おそらく、みたいな感情です)

というのも、こういう甘い雰囲気を「推し」である人間がしたこと、今までの人生で一度もなくて、物凄く心臓とか、胃とか。それこそ臓器全体がびっくりしちゃったんですよね。

 

※ここからわたしの数年推している人間の話になりますが、読まなくてもOKです。

 

これはわたし個人の話で申し訳ないのですが、わたしはある人を5年間応援していて、その方は物凄くストイックな方で、パフォーマンスがとても素敵なんですね。でも、わたしがその方を追い続けた5年間で、甘く優しいファンサは一切なくて、それどころかファンサを…している姿を…見たこと…あるかな…?みたいな方で。

これまで5年、特定の誰かにファンサをしない=みんなにしない、だからそういう方なんだなぁ~と思い一切ファンサを求めず(というより考える暇もないくらい)応援していて、①生きていること②仕事が最高の2点が最高のファンサだと思って生きてきました。

実際、それは今も揺るがないし、その方を好きな理由が「パフォーマンスがうまい」の一言なので、今後もそのスタイルでいて欲しいなとひとりのファンとして思っているんです。

ただその方はファンから自分に向けられる「好き」という恋愛的感情を避けるように、拒否をするように、こちらに向けて発信する機会が今まで多くあり、1ファンとして「そういう感情」を向けちゃダメなんだなあ、と心の奥底にずーっと、それがあるんですよね。

というより、恋愛じゃなくて応援の意味で「好き」という感情すら、声に出すこともちょっとだけ、ためらうような、いいのかな?と立ち止まる機会が何度もありました。

そういう、心のやわらかい部分を刺すような無言の「やめろ」というメッセージは、わたしに深々と刺さっていて。だからパフォーマンスだけを見続けて、追い続けて、ずっとその人のことの演技力や歌などを、ただ「尊敬」という感情だけで応援してきました。

でも、それだけ削ぎ落された、尊敬だけだからかな。わたしはこの5年応援できたのかなあ、と思うんですよね。

 

でも、JAM withを見て思ったのは「ああ、こういうファンサ(の一環)をわたしは今まで見たかったのかもしれない」という、ふとした瞬間に湧き上がる感情でした。

同じ担当の人とか、ファンの人とキャーキャー盛り上がってみたかったし、誰かと「かっこいいね」という気持ちを共有したかったのかもしれない。

なにより「この人を好きなんですよね」という「好き」という感情を持っていいんだ!という、そんな気付きを、JAM withで得てしまったんですよね。突然、はっとしちゃったんですよね。

(恋愛的な意味の「好き」じゃないとしても、応援する方へ「好き」(ライク)を向けるのにもためらっていたので…)

今まで、そんなことを考える=ダメなことと思い込んできたのに、あっさりと崩されてしまって、こういうの見たかったかも……という感情になっちゃったんですよ。

びっくり。

ここまで書いておいてあれですが、JAMwithだけでこんな重く考える必要は一切ないと思いますが、続けます。

 

わたしは、アイドルも、俳優も、歌手も、そのほかの芸能に関わるすべての人に対して「ファンに見せる姿」こそ、わたしが受け取り、応援する姿だと思っているのですよね。

與那城くんって、それがすごくうまいなあというか。うまいなあって…思うんですよね。

メールから読み取れるのは、彼はすごく優しい人なんだろうな、マメで丁寧な方なんだなぁということで。本当に、本当にびっくりするんですよ。

 

わたしはいままで、応援する方の言動に喜ぶより傷を負うことが物凄く多くて(発言が鋭いナイフみたいな人だったので……)喋ればハラハラしていたし、変にドキドキしていたんですよね。

でも、與那城くんを応援したいなぁ、と思ってメールを受け取るたびに「やさしい人なんだろうな」「マメな人だな」という、プラスの感情でいっぱいになるんですよ。

傷を負うなんてことがなく、ただ一言一言に、そっかそっか、と頷きながら喜ぶ。これ、わたしが求めていた応援の在り方かもと、たまに気付いて・考えて運転中にうるっとくることもあります。

彼のメールは、凄く優しい人柄がにじみ出ているので、本当に日々疲れている人間に沁みるというか、優しくいたわる姿に思わずどきっとする、そんなものがあって本当にすごいなあといつもいつも、元気をもらっています。

 

わたしは、今年職種はそのままで職場が大きく変わって、物凄く日々消耗していて。

そんな日々に、彼のメールはすごくやさしくて、ちょっとだけ甘くて(そして誤字にくすっとくる)凄くいいなあって思うんですよね。

なにより、推したい人間の言葉を、そのまま素直に受け取って、大事に大事に胸にしまえる。これがどれだけ、どれだけ嬉しいことか。

「ああもうだめだ」と思うときに、あの笑うとかわいいなぁと思うお顔を浮かべながらメールを見ると、ちょっとだけ、もうちょっと頑張ろうかなあと思えるんですよね。

 

わたしは、JO1の彼らの今までを知らないことをずっと悔しいな、さみしいなあと思っていて。彼らの今までは、きちんと公式で見たいし、なんならDVD・BDboxで出たらすぐ買うから見せてほしいなあと思っていて。

でも、それって「今」出来ることじゃなくて。今出来ることは、今配信されているものを全て(可能な限り)見ること、そしてひとりひとりの輪郭をつかんでいくことかなあと思っていて。

そんな風に全員を好きになりたいなあと思っているなか、こうやって謎にJAM withを咀嚼している途中で救われてしまって、びっくりしちゃっていて。

 

多分、今までの「応援をする人生」のなかで、「好き」と声に出す機会って全くなくて、本人に向かって言える機会があったとしても、受け取ってもらえない気がして言えなくて。

でも、最近よくレポとか拝見していて、ファンの人が「好き!」と声にだしたら、その好意をひとしくすべての人から受け取り、笑顔で受け答えする「アイドル」の姿に、あ~~~「好きって言っていいの!?伝えていいの!?」て物凄く、物凄く感情を揺さぶられているんです。いいなあ、いい世界だなあって。

 

もしこの先、直接「好き」を伝えられる機会が訪れたらいいなあと。本当に思います。

今まで、この感情は捨てなくちゃいけないなあと、道端に置いてきたものたちは大事に持っていていいんだなあって思えて、本当にうれしいなって思っています。

今後はそういう感情を捨てずに、大事に大事に持って行って、ライブをやったときにその感情たちと一緒に彼らのきらめきを浴びたいなあって思うんです。

 

なんだかうまくまとまりませんでしたが、今、とっても楽しいです。

與那城くんのメールのここがすごい!とか、そういうのはまた別の機会に書けたらいいなって思います。〆。

JO1を知りたいと思った日記

ハマりたてほやほやの素人がかいた日記です。

 間違いなどありましたら申し訳ありません。

 彼らと出会って、ワクワクしている!という感情を日記にしました。〆

 

 

JO1、という単語をどこかで聞いたことがあった。

あるプロデュース企画・番組があって、ファンの方が投票をしている……という話を、だいぶ前にSNSで目にしたことがあった。

その時、わたしの目に飛び込んできたのは安藤誠明くんという、とても整った顔のうつくしい青年だった。こんなうつくしい(という言葉がパッと浮かぶ)人がいるのか、こんな人がいるのか、と衝撃を受けたことはわたしの脳のどこかにずっとあったらしい。

 

先日、久々に会った友人が「JO1にハマっている」と口にした時。

あ、もしかして。

あの時の安藤くん、という青年がいた企画のグループではないか。

そう瞬時に思った。

だから「もしかして」とわたしが安藤くんの名前を出した時、友人の表情はみるみる明るくなり「それ!」と顔を輝かせたものだから、記憶のピースがぱちっと音を立ててハマった気がした。

 

友人がハマっている「JO1」というグループは、たくさんの応募の中からファンの投票で選ばれた11人、ということを知った。

11人それぞれのお顔や名前を見て、ふと安藤くんがいないと思い聞いてみると、彼は別のグループにいると知った時、とてもほっとした自分がいた。

 

友人はその11人を、深い愛情を持って丁寧に説明してしてくれた。

それぞれどんなエピソードがあるか、どんなメンバーカラーなのか、どんな立ち位置なのか、ダンスや歌のうまさ(これは実際に曲を聞いたり見たりして、すごい!!と感動しています)を聞くたびに、彼ら11人をもっと知りたいと思うようになった。

しかし残念なことに、彼らがJO1になるまでの軌跡を知れる番組は既に公開終了していると教えられた。目の前が、さーっと暗くなった。こんなにも知りたいのに!?と悲しい気持ちが強くなったが、これは気になったタイミングが遅かったせいなので、仕方がない……と無理矢理自分を納得させるしかなかった。

でも本気で悔しいし、今ハマりたい!というフレッシュな気持ちを逃したくないし、彼らをもっと教えて!と泣きたい気持ちだった。

 

友人と別れたあと、彼らの曲を全て聞いた。

ネットにアップされている公式チャンネルから、彼らの動画をほんの少しだけ見た。

映像と写真では顔がわからない時もあり(本当に悔しいです)友人にラインで聞いたりした。

 

友人のサポートは手厚く「ダンスがすごくうまい、この人は誰?」と聞けば名前を教えてくれるだけではなく「この動画もおすすめ!」と何件か公式動画をPUしてくれた。

 

そんな中、この動画が流れてきた。

 

 

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一瞬の出来事だった。

 

この動画が流れてきたのは、公式チャンネルをフラフラ彷徨っているときに、自動的に流れれてきたのだが、あまりの衝撃に頭が真っ白になった。

 

この人はだれ!?

 

そう思って慌てて動画を共有、友人に「どなた!!」と尋ねた。

友人は答えた。

「與那城 奨(よなしろしょう)くん」と。

親切に読み方まで添えられていた。

 

衝撃的だった。ビビッときた。雷に打たれた。

そんな表現がバンバン頭に流れてきた。

なんだ、なんだこの表情をする人は!とあまりの美しさにひっくり返ってしまったのだった。

 

その後彼は歌がうまい!という話になり、紹介された動画がこちら。

 

 

わたしが米津玄師の知り合いだったら、たとえ真夜中だろうが家のドアを力一杯叩きながら「これを見ろー!!!!!!!」と叫んでいたかもしれない。今すぐ見ろ!!!!!!!と叫んでいたかもしれない。それくらいの衝撃だった。わたしが米津さんと知り合いじゃなくてよかった、と心から思ったけれど、それ以上にこんな素晴らしいカバーがこの世にあったのか、と心から驚いた。

あまりにうまい。そう、歌がうまいのだ。

 

そこから転げ落ちるように、TOMIさんのチャンネルにアップされている與那城くん関連の動画を見た。

歌がうまい、その前に「声がめちゃくちゃいい」のだと思った。

声の質が、すごくいい。

ものすごく、いい。

大慌てで友人に與那城くんの話題をふれば、友人はすぐに動画を紹介してくれた。

 

眠れぬ!!!!

 

頭の中で、コールセンターの女性がさけぶ。

「事件ですか、事故ですか」

わたしは即座に「事件です!!!!」と大声で叫びたい気持ちになった。

君を抱いて眠ろう、の部分で頭を抱えたくなった。

眠れぬ、そう眠れぬ。

頭の中に響くアリア、誰も寝てはならぬ

その一言が精一杯の感想だった。

そして、この動画で安藤くん(わたしが彼らを記憶に留めるきっかけになった青年)もいるので、あ、あ、安藤くんだ!!!!とはしゃいでしまった。

何よりこの動画は名前が出るので、この人は誰だろうと思ったらすぐに名前を見れるので初心者であるわたしにとても優しかった。

あれだけカバーソングが「眠れる」「安眠効果がある」と涙ながらに感想を言っていたのに、この動画を見たら眠れぬ……しか言えないのはもう事件だった。

余計に、與那城くんが頭から離れなくなってしまった。

 

ここまできたら簡単だった。

友人からの「TGCに出演するよ!」の一言。

慌てて帰ったら丁度JO1の出番でみると、今まで見ていた動画とはまた違い彼らが伸び伸びとパフォーマンスをしていて、すごくかっこよかった。

 

ダンスでの動きがすごく派手で気になる!となった豆原くん。

ダンスが華やかで、うつくしい川尻蓮くん。

パフォーマンス中の表情がかっこいい!と思った川西拓実くん。

遠くからでもキラキラしていてとにかく目を惹く大平祥生くん。

映る表情がどれもぎらっとしてかっこいい鶴房汐恩くん。

お写真で拝見した時とパフォーマンス中の表情の違いに驚かされる白岩瑠姫くん。

カメラが遠いとよりスタイルの良さが際立った佐藤景瑚くん。

友人の推しなので、ここで登場する!とワクワクしていた木全翔也くん。

すぐに「あ!この人すごい!」とどきっとさせる河野純喜くん。

涼しげな目元が本当にかっこいい、金城碧海くん。

1番楽しみにしていました、本当にかっこよかった與那城奨くん。

11人全員が、キラキラと輝いて、眩しかった。

かっこいい、そしてなにより楽しそうな彼らをみれて本当に良かった。

 

パフォーマンス最後に、深々とお辞儀をした與那城くんに、ため息が出た。

こんなふうに、客席にしっかりと一礼できる人なんだ、と余計に好きになった。

もっともっと、知りたい。そう思った。

 

次の日。

TGCの熱が冷めないまま、彼らを知りたい、写真やインタビューを見たい一心で友人から勧められた「Numero」を買った。

写真を見ながら、そしてインタビューをゆっくり読みながら、わたしが気になっている彼らはこんな夢があり、こんな風に語るのか、とほんの少しだけ、知れた気がした。

本当にいい写真とインタビューだったので、きちんと葉書で感想を送ろうと思った。

それくらい、パワーをもらった。

 

他にも、こんな雑誌が今買えるよ!今読めるよ!をツイッター(感情が熱いまま作った)で教えていただき、順番に買っていこうと思った。

元々インタビュー記事が大好きなので、彼らが載っているものを1つ1つチェックするのがとても楽しみだと思った。

 

長くかいたけれど、彼らを知って、そして與那城くんを知りたいと思ってからというもの、短い期間だったのに物凄い熱量を情報量を得た気がした。

けれど、まだ足りない、もっともっと知りたい、と貪欲になっているので、今後番組を見れるようにお問い合わせ(どこかでできるのかな!?)しながら、今彼らのまばゆさを、輝きを、追っていきたいと思った。

 

彼らを知るタイミング、応援するタイミング。

それが今であることを、ものすごく後悔しているし、彼らの今までをしれないことがものすごく悔しくて仕方がない。

けれど、今だからこそ彼らと出会えたのかもしれない。

友人がきっかけで、こうして彼らと出会えたのかもしれない。

そう思い、今後の彼らを応援しようと思った。

 

これからよろしくお願いします、の意味を込めて日記を書きました。

おわり。