This is no dream, so real!!!
何度も何度も、言葉にしたいなと思って。気付けばこんなに時がたってしまいました。
この日記をお読みになっている、JAMの皆様はいかがお過ごしでしょうか。
ライブ後もアーカイブ配信やMV、テレビ出演だけでなく、たくさんの嬉しい企画やなによりうれしい記念すべき2周年と、たくさんのうれしいニュースが続き、本当にたのしい毎日をお過ごしかと思います。
わたしはといえば、ライブ後は朝に曲を聞いては運転中に泣いたり、よろこびと感動を抱えきれないまま情緒がやや不安定な数日をすごしたのち、今はとても穏やかにライブを振り返ったり、この先のみらいへのわくわくを抱いています。
(たぶん、わたしと同じように抱えきれない感情に涙した方も、幸福を抱きしめてずっと笑顔の方もいると思っていて。あのライブを現地や配信問わずに体験した人々すべてのJAMさんが、彼らにライブ後もこころを揺さぶられているのだろうな、と思っています。)
これはわたしの振り返りの日記です。記憶の中の彼らの話をするので、多少お話が前後しますが、記録として残します。
(追記:ライブのお話の前に自分のはなし/日記を書いてるので、ライブにいくまでがものすごく遠くなってしまいました。そしてライブ中の話はものすごく少なくて、本当にただの日記になってしまいました。)
本当はもっと早く言葉にして、こんなにすてきだったよ、こんなにもうつくしかったよ、と日記にしたかったのですが、慌ただしい日常に戻るとなかなか時間をとって書くことができませんでした。それだけが残念で、でもその「もっと早く言葉にしたかった」と悔やむくらい、わたしにとってあの夜はすばらしいもので、本当にまほうのような一夜で、これから先もずっとずっと、この記憶を抱きしめて歩いていきたいと思っているのです。
人生のなかで、うつくしいものと出会うたび。わたしはこころのどこかにその記憶を大事に大事にしまっておきたくて、どうにか言葉にしようとするのですが、今回のライブを振り返るたびにうまく言葉に出来ないことの連続でした。
なんだか、ようやく会えたね、というより「彼らは『いた』」「『存在した』んだ」という感動が大きすぎて、ずっと、こころが、ふわふわとしてしまうのです。
どんな感想よりも先に「いたよ」という言葉が自然と出てしまうくらい、あのライブは、特別な意味をもったものであると思っているのです。
今回ライブに行けたのは、たくさんの偶然が重なったからでした。
元々FC先行などで落選していたり、この状況下で行くべきか、何度も何度も悩んでいました。行きたい気持ちが強まるたびに、落選のおしらせを見ては「やはり行くべきではないのかもしれない」と何度も、考えました。
わたしは、そして世の中の多くの誰かを愛し応援する人は、この特殊なコロナ禍いう状況下で「行くべきか、行かないべきか」の選択を、何度も何度も迫られてきたと思います。
自分のはなしで申し訳ないのですが、わたしは約2年間、その選ぶ選択肢すらなくて、すべての愛する作品や展示を「行けない」と最初からあきらめていました。ざっくりと理由をお話しすると、親しい人が病棟に勤務して最前線でたたかっていたり、家庭的な都合の介護問題であったり、たくさんの理由が積み重なって気付けばすべてに「行けない」という決断をしていました。でも、別にそれはわたしが自分で選んだもので、そう選んだ時点でそれはわたし自身が下した決断であり、ひとつの選択であったと思っています。だから何かをせめる気持ちではなく、先が見えない不安のなか、大変な状況下でたたかう人を見ているからこそ、その人の苦しみを知っているからこそ、見聞きしているからこそ。わたしはわたしで応援だったり支える(心理的にも)という意味で、どこにも行かないでいました。
この選択は、本当によかったのか、正しかったのか、それは誰にも、わたしにも、分かりません。
でも、約2年という長い月日、たくさんの「行けない」という選択を自身でし続けるたびに、わたしのこころは確実にすり減っていました。行きたい場所、見たい展示、聞きたい音楽。たくさんありました。たくさんの「でも」の連続で、あきらめるたびに、あきらめるということに疲れて様々な作品から距離を置いた時期もありました。
ずっと好きだったミュージカル、長年特別展にはかならず足を運んだ博物館、ただただ好きな美術館。好きなアーティストのライブ。
すべてがわたしの横を通り過ぎて、ああもうその瞬間には立ち会えないのかと、たまに悲しくて悲しくて、その悲しさに蓋をするために離れることを繰り返していました。
でも、そんな約2年の、まるできびしい冬のような時期に。
わたしが変わらずに愛し続けた存在がいました。
それが彼ら、JO1でした。
なぜここまで愛し続けられたのか、距離を置くことなく応援を続けられたのか。それは、たくさんの理由があると思うのですが、その1つがよなしろくんからのメールでした。
わたしはもともと気持ちが揺らぎやすくて(この2年間は特にそうでした)気分の浮き沈みや、感情のさざ波や、何もできない日もたくさんあって。いつもはおだやかなこころの海も、時には荒れ狂うときもあるし、そういうのが人よりも強いのだと思います。
たぶん、一生懸命にふつうのふりをしているだけで、そうではなくて。(そもそも「ふつう」とは?というとキリがないのですが・・・)
だからこそ、距離を置こうとすると本当に遠く彼方へ、沖の方へ流されてしまう。好きなものという陸地が見えないほど、とおくとおくの沖へ、とぷとぷと流されがちなのです。
でも、そんなふうにこころが沖へ行くたびに、引き留めてくれたのがメールだったのです。
つらいとき、かなしいとき、うれしいとき、たのしいとき。
いつだって変わらぬテンションで、やさしさで、たくさんのJAMへ大きな愛を届けてくれるよなしろくんのメールは、わたしにとっては灯台のような存在でした。
元々、彼を見ると「まばゆい人」と思う瞬間は多々あったのですが、沈んでいるときにもらうメールほど、まぶしさを感じる瞬間はなく。ただただ、その明るいひかりに導かれ、わたしは沖へ流されず、ずっとJAMというおだやかな海の、流れがゆるい浅瀬あたりを、ずっとちゃぷちゃぷ漂えたのだと思います。
そうして先が見えないなか、ライブの現地にどうしても行きたくて、いろんな人に相談をしました。いっそ最初の先行で当たっていれば、当たったからと理由をつけられたのかもしれない。けれど、現実はそうではなかったので、何度も応募をするたびに、わたしは本当にこれでいいのか、と本当に悩んでいました。
でも、どうしても、現地に行きたい、その気持ちが捨てられずに、何度も何度も応募をしていました。でもなかなかご縁がなく、すこし凹んでいるおりに「行けるなら行った方がいい」「まだチャンスがあるなら、申し込んだ方がいい」と背中を押され、リセールに申し込みをしました。
結果、最初の抽選でご縁をいただき、ひとつのお席が用意されました。
うれしい気持ちと一緒に沸き上がったのは「このお席は誰かが行けなくて、何かしらの事情があって、手放すしかなかったお席」という、見えない相手へのきもちでした。
相手が分からないリセールだからこそ、どんな事情があって、どんなお気持ちでリセールに出してくださったのか、その気持ちやこころは、わたしにはわからないけれど。わからないなりに、相手を心配したり、感謝したり、同時に「チケットを出してくださった方の分も、2人分としてたのしもう」と思えました。
チケットはひとり分だけれど、リセールでご縁をいただいたのだから、ふたり分。そんな気持ちでした。
こうして今振り返っても、あの特別な空間を、まほうのような時間を、すてきな時間を過ごせたのは、見えない誰かがチケットを出してくれたからで、本当に今も感謝でいっぱいです。
大切な1枚を、大切な時間を、譲ってくださりありがとうございました。
当日、幕張に向かうために朝早くの新幹線に乗りました。
新幹線に乗るのは久々で、いつもなら窓の外を見ずに携帯の画面ばかりをみるのに、あの朝はそんな気分になれなくて、通り過ぎていく木々や風景をじっと見ていました。わたしは山奥に住んでいるのですが、山奥から駅にいくと景色が変わるように、駅から駅の途中でどんどん景色が変わっていくのが、ものすごく気持ちをわくわくさせたんですよね。どんどん都市部に近づくにつれて、ああもうすぐ!もうすぐ!と胸が高鳴りました。ライブってこんなにわくわくするんだっけ、と2年ぶりのときめきが、どっと押し寄せてきたようでした。
今回、グッズを買うための抽選にも参加できなくて、さみしさを感じているときに、長い付き合いのあるフォロワーさんが「代行しますよ!」とお声かけしてくださって。ギリギリまで悩んでいいですよ、と言われたけれど「うちわ、お願いできませんか」とどきどきしながらお願いしていました。
その方ともお会いするのは久々で、お互いにJAMになってまさかお会いできるとは思わなかったし、また好きな人と好きなものを共有できるのって本当にうれしいなあ、とこころがぽかぽかしていて。無事に買えました、とご報告いただいたときに胸のあたりがかーっと熱くなって、いよいよ始まりが近づいてる!と、物凄く嬉しかったんですよね。
お会いした時に「お互いに初うちわですね……!」「はじめてのアイドルのうちわ……!」とうれしさと、照れが混じった気持ちで笑いあって、始まる前からこんなすてきな気持ちになれるなんて、とずっとぽかぽかしていました。
お互いにはじめてのうちわが彼らで、JO1で、よかったですね、と笑いあって。そんなきもちが、愛おしさが、本当にうれしかったんですよね。
(うちわを受け取った時に、あまりにかっこよくて「かっこいい~!!」と気持ちをはずませて、ふたりできゃっきゃとお互いのうちわを見ていたのもすごくうれしかったです。お互いに応援する人を、堂々と、かっこいいですよねと言い合える空間って本当にうれしい!そしてお互いが「かっこいいですよね」と褒めあえるのもうれしかったのです。)
ライブ前におわかれをして、会場に向かって。
電子チケットに、スタッフさんがぽんと判を押してくださって。人生はじめての電子チケットだったので「わ~!」となったのですが、後ろにも人がたくさんいるのでそそくさと入場して、お席に座りました。
お席は一番後ろでした。入って会場の広さにどきどきしつつ、しかし、わたしは瞬間的に「いける」と思いました。
なにが、と言われると言葉に出来ないのですが、モニターのサイズや花道の距離を見て、バッグから出した防振のメモリを合わせている間、こころのなかで(絶対に見える!)と確信をしていました。いままで過去に色々な会場に飛び回りましたが、自分の今までの経験がこうして謎の自信となり、絶対に見えるし見るぞと思えるのが、すごくいいなって思いました。
会場に入ったのに、まだ実感がなくて。けれど、人々のざわめきのなかで防振を握ると「来たんだ!」とわくわくがぶわっと押し寄せてきました。
ブロックVとEの間に通路があったのも大きくて、人がそれだけ密集していないから隙間は必ずあるし、なによりモニター大きいし全部見える!と思うと頭の中で「やったー!」てなったんですよね。そもそもその空間にいれることが嬉しいし、その時点で譲ってくださった方の分も楽しむ気満々だったので、ずっとにこにこしていたと思います。
わたしはどんなお席でも、「その時座った席が、その時の自分にとっての一番の良席」とこころに刻んでいるので、見えない空間を最初に目星をつけてここに人がいたらモニター側やこちら側を見てみよう、と切り替えて、始まる前から物凄く楽しんでいました。
お席に座ると、周辺でずっとちいさな声で、彼らの話が聞こえて。当たり前ですが、この空間にいる人すべて彼らがだいすきで、応援している、JAMなんだ。そう思ったら急に涙が出そうになって、物凄く感動してしまいました。後ろの座席だから、前にたくさん人がいて、そのひとりひとりが誰かを応援しているJAMだと思うと、本当になぜか、うれしくなってしまったんですよね。わたしのまわりにいるJAMって、実際にお会いする人だとわたしに彼らを教えてくれたひとりだけで、いつもどこかでJAMさんを探していました。
SNS上で一緒にすきだと盛り上がってくださる方も、きっとインターネットの海を越えて実在する。けれど本当に実在するのか……JAMさんってどこにいるのだろう・・・・・・と日々思っていたので、こんなにたくさんJAMさんいる!!!と思うと始まる前からわくわくが止まりませんでした。
そして耳に飛び込む単語が全部知っている名前で、言葉で、ひとりで来たことを少し後悔しました。こんなにも彼らの話をずっとしている空間で、一言もしゃべらずにいるのは、むずむずがとまらず(でも静かに待たなきゃ、と思ったので道ばたの石のようにただ黙ってその空間をかみしめていました)どきどきと緊張で、臓器がひっくり返りそうになっていました。
でもそんななかで、お隣さんが話しかけてくださって。ふたりでしずかに、こそこそぽつぽつ喋るうちに「本当に存在するんですかね」という話題になりました。
実在、するのかなあ。
本当に、いるのかなあ。
お互いに「でも、もうちょっとで会えますね」「本当にいるんだってわかるんですね!」と小さな声でこそこそと喋って、「始まったらどうしよう!」とか「〇〇くん、本当にかっこいいから……」って全員の名前を挙げて。本当に、友人以外ではじめてJAMさんと喋れてうれしかったです。両隣(反対お隣さんもご挨拶?してくださって・・・)が本当におやさしい方で、始まる前からすでに「もう楽しい・・・」状態でした。
コロナが収束したら、たくさんのJAMさんといつかお話してみたいなあ、とこっそり夢が出来たりしました。
そのうちに段々と時間が迫り、会場の照明が落とされると、先ほどまでの小さなざわめきが収まって静かに、ただ静かに会場の空気が変わって、彼らを待っていました。
そして、扉が開かれた瞬間。
会場が一瞬、小さな歓声に包まれました。
本当に、その一瞬。その一瞬だけ、歓声がわずかにあがったのです。
本来、歓声禁止だから、誰もかれもがその声をあげようとしてあげたわけではなく、ただ自然と、口から、体から、そのこころから、あふれ出てしまったような声でした。
わたしはといえば、ただどきどきが止まらなくて、手に持った防振が僅かに震えながら、その扉が開くのを待ちました。
すべての扉が開くと、10人の、本来の人数よりひとり少ない、10人の姿がありました。
そこからの記憶は断片的で、しかし、ただただ、じゅんきくんの歌声で幕が開き、扉が大きく開かれたとき、ああ、ここが世界の中心かもしれない、とあの瞬間、たしかに思ったのです。
もし歓声が許可された世界ならば、あの堂々たる歌声が響いた瞬間、割れんばかりの歓声が響いたことでしょう。しかし、わたしたちはただ静かに、その歌声の発する力に体を震わせ、開かれた扉のなかに飛び込んだのです。
彼らの歌声が、ひとりひとりの声が、わたしたちをまほうのような時間へと、その開かれた扉のなかにある「彼らはいたんだよ」「存在したんだよ」という世界にぐいっと引き込んでいったのです。
画面越しではない彼らは、ひとりひとりが輝いていて。
ときには激しい炎のようにギラギラと、ときには星のまたたきのようにきらきらと。
よく知っている顔のはずなのに、こんなにもかっこよかったのだと、ひとりひとりの顔を見るたびに思いました。
見えづらいときはモニターを見て、見える範囲で彼らを追って、ああこんなお顔で、こんな表情で、パフォーマンスをするのかと、ひとりひとりにどきどきしていました。
なかでも、わたしが目で追ったのがよなしろくんで。
歌ったり、パフォーマンスをする姿をみて。その存在を確かめるたびに、なんだか涙が出てしまって、本当にいたんだとその一瞬一瞬を噛みしめていました。本当にかっこよかった。分かっていたけれど、分かっていたつもりだったけれど、本当に本当に、わたしの応援する人はこんなにもかっこいいんだなあって。かっこよくて、きらきらしていて、まばゆくて。
今まで、頭では分かっていたんです。
彼らは存在するって。
ちゃんと、いるんだよって。
でも、こころでは、本当にいるのだろうかという不安に似た感情が常にあって。
そのモヤが勢いよく晴れて、吹き飛ばされて。彼らの大きすぎる存在感に圧倒され、ずっと防振を握る手が震えていました。
わたしの心にあったモヤを吹き飛ばしたのは、扉が開いたときのじゅんきくんの力強い歌声で。10人の声とダンスで。あの一曲が、わたしにとって、そして多くのJAMさんにとって、かけがえのない一曲に改めてなったのだと思いました。
それからはもうずっと、ずっと、楽しくて。
花道に来ると表情がよりくっきりと見えるし、自分の視野にモニターも入るのでダブルで見れて楽しんだり、遠くになると全員のパフォーマンスが視野に入るからよりどきどきしたり、物凄く楽しかったです。
映像の場面になると着席もあって、座る度にどっと喜びが体を重くするようで、でも立ち上がると軽々としていて、重力でさえもどこかへ行ってしまったような感覚でした。
ライブ中印象的だったのは、みんなが何度も何度も、うれしそうに「JAM!」て呼びかけるところでした。
本当にうれしそうに、何度も何度も呼ぶし、実際ににこにこした顔をみて、ああ本当にうれしくてうれしくて、しかたがないんだ。そう思うと急に涙が出て、ああ早く歓声ありにならないかなあと頬を涙でぬらしながら、しみじみ思っていました。
はやく、みんなの「JAM~!」という声に、返事ができるといいな。
拍手で伝えられるものもたくさんあるけれど、きっと歓声でしか伝えられないものもきっとあるから。彼らの呼びかけに、返事をして、はやくたくさんの歓声を届けたい。彼らをもっともっと、笑顔に出来たらいいなと、ずっと思っていました。
彼らひとりひとりが、たのしいと感じるこころ。
でもきっと、まだ、まだまだ、もっともっと、もーっと、たのしいと思ってほしいから。
歓声ありの世界になったら、思い切り、声を出したいですね。
あの日はそれが出来ないから、たくさん拍手して、たくさんたくさん、拍手して。
わたしのちいさな自慢が声と拍手が大きいというものがあって、ほんとうに一番うしろだけれど、拍手もふたり分くらいの気持ちでしていました。会場にいて拍手がおこるたびに、きっとたくさんのJAMさんも、声を我慢するかわりに大きな拍手をしていて、会場全体が何度も大きな、あたたかな拍手に包まれてしあわせでした。
ライブ後半でアンコールとして再登場したとき。
ひとりひとりの挨拶が、こころにしみました。
改めて、ひとりひとりが、このライブに向けてどんな気持ちで、どんなことを今思っているのか知れて、すごくうれしかったです。
たくさん、つらいことも、くやしいことも、たくさんたくさんあったでしょう。
わたしたちJAMには見えない、見せれない、たくさんの苦労が。たくさんの苦しみが。ゴールが見えないなかでも立ち止まれないからこそ、努力をし続けるからこそ、トップを目指すからこそ、見せない涙や汗がたくさんあったことでしょう。
でも、その先で「ようやく」会えて。
その爆発したよろこびを見て、聞いて、わたしはずっとずっと、ああこの人たちが、11人が、ずっと笑っている世界ならいいのにとずっと思っていました。こんなにもまばゆく、やさしく、いとおしい人たちが、ずっとずっと、笑っている世界ならいいのにと。わたしは強く強く願わずにはいられないのです。
ひとりひとりの挨拶に関するメモがあったので、それだけは日記に残そうと思います。
(ライブ当日の20日夜)
ちょっとお手紙みたいになっちゃった。
れんくん。
れんくんが「楽しい時間を過ごせましたか?」と聞いてくれたとき。痛い程拍手をしました。にこにこと笑いながら、目じりを下げて問うあなたが、本当にやさしい声をしていて。わたしはやっぱり、れんくんの喋り方がすきだなあって思っていました。やわらかで、あたたかな声音が、もう終わってしまうというさみしさより何千倍も「たのしかったよ」と伝えたくて、本当に伝えたくて、ずっとずっと、拍手をしていたよ。
「このすてきな時間は、同じ時間は二度と来ない」という、刹那のうつくしさを、わたしは何度も何度もかみしめて。今もメモを見ながら、あなたのゆっくりと紡がれた言葉の重みややさしさを感じています。
遠くに行けるように。長くいれるように。
その言葉が、ずしんと胸にきました。遠く遠く、トップへの道のりは長く険しいかもしれないけれど。すこしでも、みんながJO1として長くステージに立ち続けるように、たくさん、応援するよ。JAMはあなたたちの味方で、ずっとずっと大好きだから、どんどん遠くへ行けるように、その背中を押すあたたかな春風のような、強くてやわらかなものであろうとするよ。日本へ、世界へ、もしかしたらみらいでは宇宙にいくかもしれない。それくらい、わたしはJO1の可能性を信じているよ。
木全くん。「こういったことが、いっぱいしたいなって。僕は思っているのですが」「これからも皆さん。ついてきてくれますか?」と問うその顔と、拍手をもらったあとでは、まったく表情が違って見えました。
木全くんの問いかけは、きっと木全くん自身のこころからの問いかけでもあったし、メンバー全員のきもちでもあったのかなってずっと勝手にわたしは思っていて。だからこそ、たくさんの拍手が会場を包んで、その頬をゆるめたとき。本当にこっちまですごく嬉しくなりました。
やっぱり、笑っていると嬉しいんです。嬉しくなるんです。
その笑顔を、ずっとずっと見れるように。
「また、会いましょう」といってくれた、その言葉のために、わたしは今日も、明日も、がんばろうって思えるよ。
しょせ。「こんなにたくさんの方に愛されているんだと思って」とはじまったあなたの言葉に、どきんとしました。そう、そうだよ!て思ったし、それ以上に、この会場にはおさまりきらない、カメラの向こう側で配信を見ているひとたちや、その日は見れなくてアーカイブで見る人もふくめて、本当にたくさんの人が、あなたを、あなたたちを、こんなにも愛しているんだよって思って、胸がウウ!てなりました。
2年、という月日をその口からきいて、本当に長い長い冬のように、きびしい時間を過ごしたことと思います。
「やっと、僕たちの扉が開いたと思うので」「これからも、絶対、しあわせにするので」と一言ずつ重みをもたせて「僕たちについてきてください」と言い切るその笑顔に、もうくらくらしました。
「僕たちのことを。もっと、もっと。大好きになってください」
その言葉に、もう目頭がぐわっと熱くなって。すき、という感情は積み重なって、どんどん高くなるから。宇宙のはるか彼方に届くくらい、そのすきという感情を積み上げていきたいと思いました。いまも大好きだけど、もっともっと、大好きになるのがたのしみです。
豆ちゃん。
豆ちゃんのさわやかな挨拶に、わたしは思い切り胸を掴まれています。かわいくて、かっこよくて、どんどん大人になっていく豆ちゃん。
これからどんな大人になっていくのだろうと、あなたを見ているとその明るい未来に思いを馳せてしまいます。
「リハーサルのときから、JO1のみんなといっしょに。みんなのことを考えながら、ステージを作ってきました」
「本当に、最高の仲間に恵まれたなと、僕は心から思っています」
その言葉を言いながら、左右をゆっくりと見る豆ちゃんをみて、わけわからないくらい泣きました。時には笑いあい、時には真剣に向き合う、大切な仲間が両隣にいて、彼らを信頼している強い眼差しが、まぶしかったです。本当に、豆ちゃんが出会った大人たちがJO1の彼らでよかった、そう思ったのです。
たくみくん。「今日は、この夜公演は、今までのライブで……一番たのしかったです」
そう言い切ったとき。一番を「いっちばん」と言っていて、本当に、本当にたのしかったのだと、こころにじわじわとその喜びが広がってきました。
この時間が僕の宝物、という言葉をゆっくりと噛みしめながら、「みなさんがいれば、僕たちは何も怖くないし、僕たちは皆さんのそばにずっといるし」と続けたとき。
な、なんてすてきな挨拶なんだ、と感動のあまり涙が止まりました。
「みなさんがいれば、僕たちは何も怖くない」
その一言が、どれほど頼もしく、喜ばしい言葉であるか、言葉にできない自分の語彙のなさがはずかしい。くやしい。本当に、その言葉が、表現が、わたしにはどんぴしゃに刺さりました。
あの時のたくみくんの言葉が、わたしはあまりにすきで、うつくしいと感じていて。彼の表現するしあわせを、わたしはずっとずっと、胸にしまっておきたいと思いました。本当にすてきな言葉をJAMにくれて、ありがとう。
じゅんきくん。
あなたの挨拶は、わたしがその日一番涙があふれて、アーカイブで見たときのメモもぐちゃぐちゃで。正直、文字にはできなくて。言葉にもできなくて。それでも、あなたの挨拶があの日いちばん胸にきました。
本当に、わたしはじゅんきくんのまっすぐさというか、心優しさというか、そういうこころの清さや、やわらかなものにふれて、どうしようもなくこころを揺さぶられました。
「ずっと歌ってて」「歌い続けて」そう幼い頃を振り返りながら、その瞳が照明できらきらと輝いているのは、照明だけじゃない気がして。
かなり言葉を選んで、お話しして。そのなかではっきりと「夢は、叶うんで」と言った瞬間に、わたしのなかで何かがはじけて。
デビューしてから、ようやく、人前で、じゅんきくんや皆のことが、だいすきで、だいすきで、しかたがないJAMの前で歌えて、ようやく「夢は、叶う」と思ってくれたのかなと思うと、なんだか涙がとまらなくて。
真面目で、一生懸命な人が、報わる瞬間。わたしはそれがいちばん、うれしいのかもしれないなあって。がんばっている人が、そのがんばりに報われて、夢を叶えて。その叶えた瞬間に、時間に、立ち会えている。こんなまばゆいこと、あるのかなあ。それは11人全員に思っているけれど、あの日あの瞬間に、その思いが大きく弾けた気がしました。
「ずっと、歌い続けるんで。ずっと聞いててください。」という言葉もすごくよくて、メモを見てわたしはまたうるっとしています。はやく映像でまた見たいです。
けいごくん。
「めちゃめちゃ今、幸せです」と言ったとき。すごくうれしかった。
「はじめて目を見て会う人だっていると思うのに。なんだか、はじめて会った気がしないというか」
ゆっくり、一言ずつ言葉を選んで、「ぼくたちは見守られている」「ずっと僕たちを見ていてくれたんだなって」と続けて、なんかもう、すごくいい言葉選びだなあ、すてきだなあって。言葉を選びながら、何度も頷いていて、自分の言葉でしっかり伝えてくれる人なんだなって思ったんです。
「はじめて会った気がしない」という言葉で、どれほど会場が、ライブの空気が、あたたかなものだったか伝わるようで、なんだかもうすごくよかったし、うれしいと思ったのです。
けいごくんの選んでお話しした言葉がすごくすてきで、メモでもすごく好きだって何度も書いてあって、本当にすてきな挨拶でした。
よなしろくん。
よなしろくんが最初に、配信で見ているJAMについてふれてくれて、すごく嬉しかったんです。
このライブに、来たかった人。行けなかった人。たくさんいるよ。きっと、本当にたくさんいるんだよ。そして海外だと今の状況下ではむずかしさが増すよね。だからこそ、あなたが最初に英語で感謝を伝えてる姿を見て、この人が推しでよかったなあって。やっぱり、よなしろくんはすてきな人だなあって。かっこいいなあって。本当にこころから思いました。あなたのそのまっすぐなやさしさに、どれほどこころを動かされ救われたことでしょう。
そして「伝わったかな?」と笑う姿に、きっと海の向こうや、画面の向こうはもちろん。きっとこれからこの挨拶がもし円盤化したら、たくさんの人のこころに届くのだろうなあって思うんです。
そしてJAMへの感謝や約2年の月日を振り返ったあとに「ここがゴールじゃないので」とはっきり言う姿が、胸に残っているんです。
約2年。先が見えないって怖かったと思うんです。たくさん不安で、苦しい時だってあって。きっと見せれない苦悩は山のようにあったかもしれない。
それでもあの日みた景色が、よなしろくんのこころを動かすものであったのなら、今までの苦労も乗り越えて良かったと思えるのなら、どれほど嬉しいことでしょう。
あの日は、あのライブは、間違いなくスタートラインで。でも、走るのが得意なみんなだから、きっとどこまででも行けるよって思うんです。たくさん努力して、たくさん頑張っているみんなだから、世界だって宇宙だって、もしかしたら月にだって、本当に届くかもしれないんだよ。
わたしはよなしろくんが笑顔でいてくれたらすごくうれしい。そして、だいすきなあなたの歌声がもっともっと、もっと遠くに届くように、これからも応援するよ。もっともっと、もーーっと。遠くに行こう。行けるよ、JO1なら。
るきくん。
るきくんは、最初にすべての関係者の方へ感謝を伝えて、頭を下げていて、本当にかっこいいアイドルだな、すてきなアイドルだなって思いました。お礼が言える、感謝が言える人がすきなので……。
(そして毎回誰かの挨拶のたびに、深くお辞儀をするJO1のみんなが本当に大好きです。かっこいいね。)
今回の歓声のない、声が出せないという状況下で、楽しませられるか、すごく考えてくれてありがとう。その気持ちは、ものすごく伝わっているよ。声が出せなくても、こんなにあたたかな空間になるんだってくらい、本当に楽しかったんです。
るきくんが、その状況で不安だったと伝えてくれたあとに
「声がなくても、皆さんがここにいてくれるだけで、もう最高です」
そう言ってくれて、もう、ここでね、歓声があげられる未来にはやくなってほしいなあって思いました。かっこいいよね。拍手をしながら、来れて良かったなあって泣きました。
最高って言ってくれて、ありがとう。その最高が、この先何度も何度もあって、何度も何度でも更新されたらいいな。
しおんくん。
しおんくんの挨拶の始まりのおかげで、しんみりとしてべしょべしょに濡れた顔が、一気に明るくなりました。思わずふふっと笑みをこぼしそうになる掴みで、いいなあって。しおんくんの挨拶が最後で、よかったなあって振り返っても思うんです。だってしおんくんのお陰で、涙も飛んで、すごく楽しい気持ちになれたなあって思うんですよね。
「本当に存在してるかも分からない僕たちに、ずっと着いてきて、本当にうれしいなって思います」
その言葉に、そっか、わたしたちJAM側が(JO1って本当にいるのかなあ)とどきどきしていたきもちが伝わっているというか、しおんくんは知っていてくれたんだなあって挨拶を聞いて思いました。
しおんくんは、知れば知るほど繊細でやわらかなこころの人という印象で、その印象がよりくっきりと残る挨拶だと感じました。
お互いにJAMっているのかな ~、JO1っているのかな ~、みたいなふんわりとした不安は、ライブを行ったことで両者から消え去ったのだと思います。すごく、いいなあ。
最後に韓国語で挨拶をされていて、そういうところがすてきだなあって。
そしてまたたくみくんの挨拶で、JO1もJAMも、スタッフさんも、みんなしあわせな1日と言ってくれて。
あまりにしあわせで、ゆめみたいで、でもゆめじゃなくて、現実で。そのきもちで泣いていたら最後の言葉が「This is no dream, so real」で、もうぐわっと、涙が止まらなくて、最高の選曲だ ~ ~ ~ ~ ~……てばしゃばしゃ泣きました。
あの日は夢のようだけど、夢じゃなくて。
たくさんのしあわせという魔法があふれていたけれど、現実に起こったことで。
JO1は、目の前にいる。
JAMも、たくさんいる。
本当に、ゆめみたいな時間だったね。
ゆめだけど、ゆめじゃなかったんだね。
そこからはあっというまで、会場が明るくなってようやくはっとして。
横のJAMさんと顔を自然とおたがいに合わせて「いましたね」と確認するように囁きあって。
「JO1、ほんとうに、現実なんですね」
そう言葉にしたら、あらためてしあわせすぎて、なんてしあわせなのだろうと涙が込み上げそうになって。
でもその涙を上回るくらいしあわせだったから、帰り道はずっと笑みがうかんでいて、ほんとうにほんとうに、ああ来れてよかったと、まほうにかけられたような気持ちでした。
JO1。
かっこよくて、礼儀正しくて、やさしくて、やわらかなこころを持った人たち。すてきな人たち。すてきな、だいすきな、アイドル。
本当に、よかった。
いてくれて、パフォーマンスを見れて、その笑顔のきらめきをみれて、よかった。
挨拶のたびにみんなで揃って深くお辞儀をする、みんながだいすき。自分の気持ちを自分の言葉で伝えてくれる、みんながだいすき。すてきな、きらきらした言葉を選ぶ、みんながだいすき。
こころから、みんなをかっこいいと思います。
改めて、出会ってよかった。
まばゆいあなたたちに、出会えて良かった。
そう何度も何度も何度も何度も思ったけれど、あのライブでまたその思いが強くなりました。
本当に、ありがとう。
わたしの人生に、たくさんのきらめく星を与えてくれて、ありがとう。
気づけばこんなに長くなってしまった。本当はもっと書きたいことがあるけれど(歌やダンスや衣装も!)ここらへんでしめます。
本当に、ありがとう。
ずっとずっと、ずっとだいすきだよ。
これからも、応援します。